「さらば」以後、無意味なほどに回避される「死」と、回避されてしまった「死」を埋め合わせるような無意味な「死」の連鎖がヤマトを覆うことになります。第1艦橋の固定メンバーは誰も死なないが、ゲストキャラはバシバシ死んでいきます。古代守もサーシャも死ぬし、土門も死にます。それでも古代進らは死にません。完結編でようやく島が死にますがその代わり沖田が誤診で生きていたことにされます。そして、さしたる意味もなく沖田は死にます。
その結果、ヤマトの第1艦橋のメンバーはどんどん入れ替わってもいいはずなのに、固定メンバー化されます。一方で、常連以外はころころと入れ替わります。北野は「新たなる旅立ち」1回限りの出番だし、土門は死んでしまいます。本当は南部や太田には、戦艦の艦長としての栄転の話があっても良かったぐらいです。古代、島は艦隊の司令官クラスでしょう。
だから、本当なら「もう艦長なんてやってる階級じゃない!」と言われつつ強引に戦艦乗り込んでいくカークのように、強引にヤマトを発進させるしかないわけです。
実は、この点で復活編は(あくまで自分が思う)理想のヤマトであると言えます。何しろ、第1艦橋のメンバーが一新されています。いや本当に、メンバーが固定されているのは、ヤマトほど功績のあるフネではあり得ません。乗組員は偉くなっていろいろな部署に抜擢されるはずです。だから、地球で真田さんがふんぞりかえって見ていてくれる中で、古代が「オレがヤマト艦長古代進だ!」と真新しいクルー達の前で宣言する光景はいいわけですね。しかし、古代は単にヤマト艦長を兼任しているだけで、本当はもっと偉くて第3次船団の司令官なのですね。それぐらい功績のある人です。
ともかく、いろいろな奴が乗り込んできて、でも一体のチームとして運行していくことがいいわけですね。固定メンバーよりもその方がワクワクします。それが冒険というものでしょう。
それに、勝手にプログラムが立ち上がってしまったり、たとえ真田さんが乗っていなくても真田さんの存在感があります。そういうものでしょう。