以下は駄文なので、けして信じないように。
以下のようなフレーズが流行っているようですが、実は根本的なところで良い問題を突いているかもしれません。
- ググレカスと言うがググって分かる問題ならお前に尋ねる前にググってるよGoogle以上にお前を信頼してんだよ言わせんな恥ずかしい
構造を分析してみよう §
「ググレカス」というのは汚い言葉であり、本来は使うべきではありません。が、ここでは横に置くと、以下のように解釈できます。
- 質問者はおそらくGoogle検索を行っても答えが出なかったので対人質問を行った
- 被質問者は人に質問する前にGoogle検索を行うべきであると主張している
この問題は以下のようにまとめ直すことができます。
- 質問者はGoogle検索を既に試みているが問題が解決しなかった (過去の実績)
- 被質問者はGoogle検索で問題が解決するはずであると主張している (未来の可能性)
つまり、エッセンスを抽出すると以下のようにまとめられます。
- ネットの限界を超えようとしている。限界に実際に遭遇しているからである
- ネットには限界は存在しないと思っているが証明したことはない
つまり、一種のネット完全性幻想です。
もう1つの問題 §
もう1つは、「ネット完全性幻想」を持つ被質問者が、質問者に頼られているという点が興味深い問題を提起します。つまり、以下のような典型的な状況が背景に存在すると考えられます。
- 知識や経験が乏しい者ほど自信たっぷりに大きな態度で大きなことを語る
- そのような語りを肯定的に評価することが大人の態度であるという一種の迷信が昔から日本に存在する
たとえば旧日本陸軍の青年将校の暴走などが、典型的な一例です。指揮官を差し置いて、若手の参謀が指揮を取り仕切り、しかも指揮官も若手に任せる方が良いとそれを肯定してしまうこともあったようです。
ネットの世界でも典型的に見られます。「昔からパソコン使ってます。最初のパソコンはPC-9801VX」って自信たっぷりに褒めてくれと言わんばかりの大きな態度で来られても、ねえ。でも、世の中はそういう大きな態度の方を評価する人も珍しくありません。
つまり、Googleの限界もわきまえていない被質問者が、既にGoogleの限界をわきまえた人間から信頼され、答えを期待されてしまうわけです。よくある典型的な構造そのものに見えます。