「Jコミである」
「これまで読んでなかったんじゃないの?」
「暇も無いし特に読みたいタイトルでもないからである」
「読んだら面白いかもよ?」
「それでも、暇が無いのである」
「じゃあ、どうしてこれは読んだの?」
「アオバ自転車店の作者の別作品だからである」
「へぇ」
中身は…… §
「中身は面白かっ?」
「予想より5割ぐらい面白かったぞ」
「それはでかいな。どこが面白かったの?」
「ジュビリィというのは、おしかけ美少女宇宙人ものであり、うる星やつらと同じような系譜にあるわけだが、異文化接触という側面をより的確に描いている」
「そうか」
「翻訳こんにゃくがあっても、異文化の人は常識を知らないから突飛な行動を取るような話と同質の誠実さがある」
「それはウェイトでかいね」
「あと、巻末収録の短編も鋭い。『チヒロA・B・C』のオチは、かなりショッキングであるが納得の行くものであった」
「どれぐらいショッキング?」
「ACE COMBAT 3の全エンディングを見た後の真のエンディングぐらいかな」
「それはでかいね」
「それを的確に言い表しているのが後書きの以下の文言だ」
私たちの描く世界は絵空事ですが、だからこそキチンと人間に向き合わなければ
それはただの現実逃避の後押しでしかありません。
軽いものでも重いものでもいい。しかし表現活動を糧とする事を選んだ
私たちには、お客さん(子供でも大人でも)に対しての礼儀を欠いては
ならないと思っています
「礼儀か」
「そうだ。人間ときちんと向き合う作品を作らねばならないとすれば、必然的にUFOも宇宙人もロボットも意味を失う。だから、このような意識を持っている漫画家が、SF的側面を一切持たないアオバ自転車店のような自転車漫画を描くに至るのはある意味で必然なんだ」
「必然なのか」
「その通り。必然なのだ。突飛な設定は結局のところ不要なのだ。無くても物語は成立するのだ。物語の面白さとも何ら関係が無いのだ」
「やけにあっさりと言い切るね」
「そうさ。なぜなら、自分が出した過去の結論と同じだからだ」
「それが分かる方法はあるかい?」
「この小説を読んでみろ。きちんと人間に向き合うことに留意して書いた小説だが、続きはない。この路線を続けても意味が無いことが書いて分かってしまったからだ」
「どういう意味?」
「火星の地底世界という大仕掛けなバローズ的な設定は、物語を作る上で何ら必須では無かったのだ」
「じゃあ何が必須だったの?」
「人間だ。人間さえいれば物語は成立する」
「それだけ?」
「場合によっては、心を描く手段となる何らかの道具だな。オプション的に」
「具体的に道具とは?」
「アオバ自転車店の場合、自転車ということだ」
「ロボットじゃだめなの?」
「ダメだ。なぜなら虚構のロボットは説明に手間が掛かりすぎる。しかも説得力が希薄だ。誰でも知ってる自転車とは違う」
「むぅ」
「ロボじゃ、チャーリーがチャリでやって来るはショートショートとして成立しないのだ。分かるかな?」