「コクリコ坂から、というのはどこかで名前を聞いたことがあるだけで読んだことが無かった」
「そうか」
「でも、ジブリの新作ということで、原作を読んでみようと思った」
「それで?」
「そろそろAmazonで発注するか、と思ったら本屋のレジに積んであってびっくり。そのまま、これもくれと言って買って帰ってきた」
コクリコ坂からとは何か §
「原作は面白かったかい?」
「最初はもの凄くつまらない感じだったけど、読み出したら一気に最後まで行けた。面白いかどうかと言えば、面白い部類に入るだろう」
「なぜ面白いの?」
「多重化された嘘の世界を1枚1枚めくっていく話だからだろう」
「えっ? 嘘?」
「本当では無いことをそこにあるかのように信じさせる話だ。一種の詐欺ものだ。新クロサギを大好きと言うおいらにはジャストミートであった。あるいは、ルパンIII世の一部は明らかに同じ方向性を示していると言える」
「ええっ?」
「彼氏も嘘をついているし、母親も嘘をついている。虚構の『海』を押し渡りながらヒロインが1枚1枚真実に迫っていくわけだ」
「そうか」
「で、ヒロインの名前は『海』という」
「『海』かい」
「そして、多数派大衆の浮気性に怒りながら、敵対していた相手を嘆願する活動をしてしまう矛盾多き物語でもある」
「正義をなすためにドーラ―一味に入ってしまうようなものだね」
コクリコ坂からの問題点とは何か §
「じゃあ、文句なしに面白いと思っていいわけだね?」
「そうでもない」
「問題点があるの?」
「ある。大ありだ」
「どの辺が?」
「おおざっぱに、特に大きく気になった要素だけ列挙する」
- 学園紛争というテーマが時代的に説得力を持ち得ない
- 登場人物が多すぎて印象が曖昧で整理されていない
- 後半のテーマである「異母兄弟疑惑」が陳腐すぎる。前半の面白さに比べてかなり落ちる
「結構厳しいね」
「そうだ。けして手放しでは褒めない。骨格はあるは肉付けには問題があるとも言える」
「では、疑問符を付けつつ期待?」
「そうでもない公式サイトにある『企画のための覚書「こくりこ坂から」について「港の見える丘」企画 宮崎駿』を見ると弱点を分かった上でのチョイスだからだ」
学園紛争というテーマが時代的に説得力を持ち得ない §
学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。
「つまりさ。三丁目の夕日的な世界観で作っていくなら、それはありだってことだよ」
「もうリアルの物語じゃないってことだね」
「そうだ。リアルじゃ無くてノスタルジーだ」
登場人物が多すぎて印象が曖昧で整理されていない §
脇役の人々を、ギャグの為の配置にしてはいけない。少年達にいかにもいそうな存在感がほしい。二枚目じゃなくていい。原作の生徒会会長なんか“ど”がつくマンネリだ。少女の学校友達にも存在感を。ひきたて役にしてはいけない。海の祖母も母も、下宿人達も、それぞれクセはあるが共感できる人々にしたい。
「つまりどういうこと?」
「主人公以外の登場人物に関してはそのままじゃダメだって、明確なダメ出しだ」
「要するに同じ事を言ってるわけだね」
後半のテーマである「異母兄弟疑惑」が陳腐すぎる。前半の面白さに比べてかなり落ちる §
出生の秘密については、いかにもマンネリな安直なモチーフなので慎重なとりあつかいが必要である。
あるいは
原作のエピソードを見ると、連載の初回と二回目位が一番生彩がある。その後の展開は、原作者にもマンガ家にも手にあまったようだ。
「どこまでが連載の2回目なのかは分からないが、おそらく言っていることは同じだろう」
「最初の方がいいってことだね」
まとめ §
「というわけでまとめておくれよ」
「なんだかんだいって、面白かったよ。原作コミックは」
「そうか」
「ただし、描かれた当時の時代状況を配慮して妥当と思えるが、今ならダメ出しが出る部分もけっこう多い感じだ」
「そうか」
「従って、この作品は現代的なセンスで過去の話としてリメイクされる必要がある」
「あれ。それって最近聞いたような」
「そうだ。昭和時代のアニメを、昭和を描くアニメとしてリメイクされつつある『Dororonえん魔くん メ~ラめら』と構造としては同じになるのだ」
「ええっ?」
「だからさ。昭和リメイクの時代の流れに対して、ジブリも乗っているということだ」
「えーっ」
「昭和的モチーフの反復という意味では、あしたのジョーの実写映画なども同じ潮流にある。あえてリメイクで現代劇とせず、現代的なセンスで過去を描こうとするわけだ」
「そうか」
「だから、原作に忠実であることはここでは問われない。ここで問題になるのは、作品本来の持ち味を根底から引きずり出して、新しい味付けを行って客に出すことだ。けして古い味では出てこないであろうが、原作への愛が欠如しているわけではない。むしろ、過剰な愛が新しい味付けを可能とする」
「構造的にはSPACE BATTLESHIP ヤマトと同じってことだね」
「うん」
「で、結論としては?」
「宮崎駿は下ごしらえまでしかやってない。問題は吾朗君が最終的にどういう味を付けるかだな」
「予想は?」
「全く立っていないよ。ゲド戦記も実はまだ見てないぐらいだし、ヒントも無い」
「うははは。酷いな」
「ちなみに、吾朗君は1967年生まれ。完全に弟世代だ」
「うひゃー」
「だからさ。おいらと同じ目線で1963年という映画の設定年代を『実際には見たことが無い世界』として見られるわけだ」
「それってまさか」
「そうさ。山崎貴監督が実際には見ていない昭和30年代を描くのと構造的には同じなんだ」
「ではもしかして?」
「実質的には、1964年生まれの山崎貴監督が撮る1964年を描く『ALWAYS三丁目の夕日'64』が、1967年生まれの宮崎吾朗監督の撮る1963年を描く『コクリコ坂から』のライバルになるのだろうね。ただ、向こうは2012年公開でこっちは2011年公開であり、公開が1年ずれてしまっているけれど」
「むー、もはやジブリはアニメよりも実写VFX映画をライバルに戦うことを宿命づけられているのか」