「金子隆一さんの話をしよう」
「訃報関係?」
「ちょっと違う」
「ブルーノアの人だね」
「ここではジーンダイバーだ」
「ヤマト関係無い」
「まあ聞け」
「何だよ」
「ジーンダイバーは遺伝子を採取しつつ過去に遡り、生命が発生する瞬間つまり自己複製する粘土板の段階まで行って終わる」
「分かった。生命が誕生する瞬間まで辿ると、それ以上は遺伝子も無いから、過去を辿りようがないわけだね」
「そうなる」
「でもいったいヤマトとどんな関係が……」
「今回のヤマトークで明らかになったことは、宮武さんはヤマトの企画はあるがヤマトという名前が無い段階で既に関与していたことだ」
「えっ?」
「ヤマトという名前が誕生した瞬間の話もしてくれたよ」
「どんな話?」
「それはあえて語らん」
「ああ。分かった。つまり、ジーンダイバーの主人公が生命の原点に辿り着いたように、君もヤマトの原点に辿り着いたわけだね」
「そういうことになる。自分の旅の終着点がここにある」
「ヤマトークはもう1つあるよ」
「ジーンダイバーも、そのあとで一波乱あるから同じ事だ」
「ぎゃふん」
面の問題 §
「ぬえのメカは必ずしも線が多いわけでは無いが、面があるので、記号的なメカ描写に慣れたアニメーターに嫌われるが、面という発想が無いので線が多いという苦情になってしまう、という話は目から鱗だな」
「なんでだよ」
「実は、よく考えるとゼロテスター以前のアニメのメカは全部記号なんだよ。立体じゃないんだ」
「それがどうした」
「だからさ。ゼロテスター以前に模型で思い入れのあるメカはほとんどがスケールモデルか特撮メカ」
「えっ?」
「だって、サンダバードもウルトラホークも特撮だぜ」
「でもゼロテスターのメカには思い入れがあるの?」
「ある。人工島なんて最高だよ」
「ゼロテスターが転換点ってことだね」
「そうそう。でもね、結局今も記号なんだ」
「ああ、分かった。君の不満はそこだね」
「そうそう。ジブリですら記号的でありすぎる絵が出てくる。実写の映画を普通に見ていると、そこはつまらないと思うよ」
「でもさ。君はどうなんだよ」
「おいらか? おいらは最初から面のある世界に生きている」
「ホントかよ」
「モデラーを父に持ち、特撮を当たり前のように見て育った子供だぜ。面はあって当たり前。むしろ平面的な記号をあとから発見してしまう倒錯すら存在する」
「たとえば?」
「紙に書いた船や鉄道車両が平面ながら遊べるとか。あるいはね。下手くそな漫画を描いているときに、ある程度上手くなって写実的に描ける余地が出てきた時に、それは過大な負担だからその写実性をカットして記号に落とし込もうとか」
「そんなことを考えたことがあるのかよ」
「あるよ。たとえば、顔の輪郭を描いているときに顎を描いてしまうと手間が増えるから顎の無い記号的な顔にしようとか。でも哀しいかな、染みついたクセで顎を描いてしまう」
「ダメじゃん」
「おいらはダメ野郎だよ」
「ともかく、君は立体系の人間ってことだね」
「そうだ。だからアニメの3DCGの利用にはけっこう厳しい意見を付けているよ」
「記号的な描写に慣れたアニメ関係者は、面の利用が不得意であるケースが多いってことだね」
「むしろ、空間と言った方がいいね」
「ヤマト2199はどうなんだよ」
「だから実写の監督が演出に入った第3話なんか、空間の把握の仕方が凄くいい。そして、第七章に向かって全般的にかなり上手くなってきたよ」
「それはいいことだね」
「たぶん、携わった人たちは一皮むけたと思う」
「今までのアニメとは違う体験が出来たってことだね」
「話を戻すと。だからね、面を意識することはぬえの独創ではなく、本来は当たり前の前提だったと思うわけ。でもね、それをアニメに持ち込むと独創的に見えてしまうんだ」
「独創的か」
「だからね。おいらも他人から言われることがあるの。どこからそんな独創的な発想が出てくるんですかって。でもそれは違うの。たとえば、模型の塗り方に、そんなに凄い独創性は無いわけ」
「ヤマトを緑に塗るのは、君の独創性の発揮では無く、もともとあった戦艦大和の艦底緑説に従っただけ、というわけだね」
「そう。でも、実はヤマトファンは戦艦大和に詳しくない。だから、独創的に見えてしまうわけ」
「分かった。違う場所に持って行くだけで当たり前のものが異質になってしまうわけだね」
「そういう意味で、ぬえと自分の立ち位置は似ているのかもしれない」
「考えてもみなかった可能性だよ」
「もちろん、ぬえに独創性が無い、といいたいわけではない」
「あくまで面を持ち込む方法論に限っての話だね」
「しかし、そこから話を進めると非常に分かりやすい世界に行ける」
「どこに行けるの?」
「ヤマト2199は初期の段階においては、アニメ誌よりも模型雑誌ばかりに支持されていた。この場合の模型とは、面が存在する世界なのだよ」
「アニメ誌は記号の世界ってことだね」
「そう。似て見えるがそこは違う」
オマケ §
「うっかり開始時刻を21時だと思っていたが、未知の劇場はぎりぎりで駆け込むと危険なのでマージンを厚く取って早めに行く予定していた。おかげで間に合った。実際は20時半開始だった」
「良かったね」
「しかし、予告無しでスタートすると思っていたら、予告が盛大に入った。急ぐことは何も無かった」
「えー、良くないじゃん」
「帰りは東急の終電が見切れていなかったので、桜木町からちんたらJRで帰ったよ」
「しかし、桜木町に感動も何もないね。君は桜木町なんて前から知ってるわけ?」
「そうさ」
「なんで?」
「子供の頃に親爺に連れられて氷川丸を見に来た場所だから」
「古っ」
「ついでに、横須賀も行ったぞ」
「なんで?」
「三笠を見に」
「えー」
「だから話題に横浜が出ても横須賀がでても港のヨーコが出ても焦らない」
「港のヨーコは話題に出てないだろ」
「だからね。自分に取っての船の原点は氷川丸であり、軍艦の原点は三笠なんだよ。そこから逆算して、自分が乗船できることが船の基本。自分の居場所は船の中なので、船の擬人化はあり得ない」
「それが君のリアリティなのだね」
「ってか、そもそも擬人化にリアリティは無いよ。もともと人じゃないから」
「リアルに感じられる人がいたら、むしろそっちの感性を疑えってことだね」
「そうそう。宮崎アニメにしても、現実の日本を舞台にした映画よりもファンタジー世界がリアルに思えるって意見も同じ。そう思う感性の方を疑った方がいいよ。ファンタジー世界は明らかにリアル(現実)じゃないんだから」
「他には例がある?」
「レイアースがまるで自分のことのように思えるって言った人も見たことあるぞ」
「ベタベタのファンタジーものじゃないか」
「最も基本的なリアル(現実)っていうのは、手で触れる塊が目の前にあることだ。でも、記号だけで考えるように調教されてしまった人間は手を差し伸べて確かめようとしない。自分の内部規範に合致しているか否かだけで判断しようとするが、最終的に破綻する。そこにモノがある以上、先に進もうとしても突き当たってしまうからだ」
「記号だけで考えるように調教されてしまった人間って誰?」
「オタクとかアニメのプロのかなりの割合もそうだろう。漫画家もけっこう含まれるかも知れない」
「うそー」
「本来記号は何かを表現する手段として、ものごとを単純化したデフォルメとして存在するのだが、ある段階を超えると主客が逆転して、記号が主役になってしまい、現実を押しのける」
「つまり君には何か不満があるわけだね?」
「そうだ。クソつまんないアニメ映画の予告編を長々と見せられて辟易させるな。あれは、『この映画を見ないで下さい』と時間を費やして懇願しているのと同じだぞ?」
「明らかにヤマトの前に流すのに相応しくない予告編が多かったってことだね」
「それでも、それらの予告編を見てそれらを受け入れる客もいるだろうから、彼らだけを狙う気ならいいんだろうけどね。でも、本当なもっと流す場所を考えた方が良いと思うよ」
「それは、すっかりアニメは死んでいると言いたいわけ?」
「元々アニメは死んでいたんだ。ヤマト1974を契機にちょっと元気になったが、今はまた死んでいる。だから死んだ状態に戻っただけだ」
オマケ2・ゲルガメッシュ健在なり §
「第七章をよく見ていたら、ゲールが乗っていたのはゲルガメッシュであり、エネルギーを供給していたのは迷彩塗装の入ったゲール艦隊の艦艇と思われるガミラス艦だった。三千隻の無敵艦隊はどこに行った? ゼルグードはどこにいった?」
「さあ」