トーノZERO様
冥界譚、読ませていただきました。
読んでいる間中「惑星ソラリス」「イベント・ホライゾン」「うる星やつらビューティフル・ドリーマー」などが頭を駆け巡り、一体自分はどこに連れて行かれるのだろうという気持ちでした。
旧作の作画や演出ミスという穴をきっちり埋めながらそれを利用して別の物語構造にしてしまったのは大変面白いと思います。
しかし穴を埋めることの難しさというか、恐ろしさを示した作品でもあると感じます。
冥界譚はきっちり埋めてみたら元々あった胸踊る冒険やロマンは一切合切消え去り、荒野の中にただ小さな希望だけが残った、という感じです。
この物語をどう自分の中で落とし所を見つけるか大いに戸惑うところなのですが、私は神話という枠組みで捉えることにしました。
もともと1974ヤマトは神話的です。
ギリシャ神話やエジプト神話、古事記など神話の世界では話の辻褄が合わなかったり、いつの間にか設定が変わっていたり、登場人物の性格が破綻していることは珍しくありません。これは1974ヤマトの特徴でもあります。
そしてヘラクレスやイザナギなど神話の世界の英雄はしばしば冥界に降りて死者と対峙します。
冥界譚は1974ヤマトの辻褄の合わなさを古代の幻想として合理的説明を与えていますが、逆に1974ヤマトにはない冥界のイメージを取り入れています。そこに神話の匂いを感じます。
さらに一歩話を進めるなら、この冥界譚は、はるか未来の神話の種なのだとも捉えられます。
古代と森を始祖とする未来の人類は、一度滅びかけたあとの世界の始まりをどう語り継ぐでしょうか。
おそらく核で滅びかけたという事実は積極的に語り継がれることはないと思われます。
一方で、自分の子供達にお話をせがまれれば、古代はよく知っている冒険譚を自分の見た幻想を元にまるで経験談のように活き活きと語るでしょう。娯楽のない世界で唯一語られる活劇です。子供達はその物語に夢中になるに違いありません。
物語は世代を経て語り継がれてゆきます。何百年何千年も経つうちにそれは脚色され純化されて、やがては古代と森という新たなイザナギ・イザナミが地上に降りるまでを語る、新しい国生みの神話となってゆくのではないでしょうか。
すなわち1974ヤマトははるか十数万年未来の人類が語る神話であり、冥界譚はその神話が生まれる経緯を明かした物語だった、という解釈です。
そこでは1974は本当に神話となり、辻褄の合わなさや、登場人物の人格破綻も、神話が備えている当然の属性として批判の対象ではなくなる。
「冥界譚」の先には神話という肩書を得て矛盾や破綻箇所をそのままに完成形として語られる「1974ヤマト」がある、という形で両者は繋がるのだ…。
と、こんな感じで自分の中で決着をつけました。
ところで読んでいてひとつ腑に落ちなかったのが島です。彼はプロジェクトの趣旨を分かって志願している筈だと思うのですが、それでなお森に言い寄るその真意は何処にあったのでしょう。
ともあれ楽しませていただきました。ありがとうございます。
カエル課長
「正しいかどうかは読者次第であって、書き手が示すものではない。でも、あえて言うなら正しい。なぜなら、無人の土地に男と女が1人ずつ立つのは神話的であるからだ。これは、神話的な物語を意図したものなので、それで問題は何も無い」