「小津安二郎ですがな。昭和28年ですがな。モノクロですがな」
「さて、感想はどうなんだい? そもそも昭和28年(1953年)の映画に共感できるのかい?」
「うむ。まずそこだ。十二人の怒れる男(1957年)を見た時、テーマ性が現代的であることに驚いたのだが、当時のアメリカが現代日本と重なると思った。しかし、東京物語は現在の日本的でもあり、やはり当時の日本は今の日本……というよりも近未来の日本と重なると思ったよ」
「では、分かるのかい?」
「とても良く分かる。むしろ未来の映画を見ている気分だ」
「うちわでぱたぱたしている映画が未来的なのかい?」
「そうだ。原発を止めて動かさず、再生可能エネルギーはおそらく大した成果を出せない。燃料を買う外貨も尽きるだろうし、そのうちにふんだんな電力が使えなくなる。クーラーが動かなければ、日本人はみんなうちわをぱたぱたさせるさ」
「なんていうデストピアな未来像」
「そういう意味で、違和感はないよ」
「映画としてはどうだい」
「古い映画というよりも、円熟期の映画という印象を持ったな。必要にして十分。映画の開幕で外を通って世間話をしたおばちゃんが最後にまた外を通って映画の終了を告げる。良く出来た構成だよ。見事だ。美しい」
本編の感想 §
「本編そのものの感想はどうだよ」
「最初は綺麗な日常を描くだけで退屈さ。しかし、映像の凄みだけで見ていられる。そのうちに、徐々に綺麗な日常が破綻し始めてドロドロの世界になる。最後に頼れるのは死んだ次男の嫁だけ。それにしたって、綺麗とは言い切れない」
「ひ~」
「十分に成熟したドロドロ映画だよ」
「映像はそんなに凄い?」
「かっこいいよ。古くない。オシャレ。古くない」
「そうか」
「映像の美しさだけで目を奪われる」
「本編はイマイチ?」
「いや、凄く面白いよ」
オマケ §
「しかし、昭和28年の風俗が見えるのも非常に良い。あ、お化け煙突と思って裏付けを取ったら本当におばけ煙突だった」
「今は無いあれか」
「あとね。東京観光のバス。天井に脇のRの部分にまで窓がある。現在よりも下手をすれば斬新。しかし揺れは大きい。当時の道は良くなかったのだろう」
「な、なるほど……」
「東京観光で不明のビルに登るのは、まだ東京タワーができる前ということだろうな」