「ヤマト1974を少し見たが、そこで思ったこと」
「何と比較して?」
「ヤマト2199と比較してだな」
「分かった。それで?」
- 割と作画がいい加減
- 作画に勢いがある
- 音楽が良い。心に染み入る。使い方が上手いし、音楽そのものも優れている
- 声優の演技もよりインパクトがある
- 不安感の描写が優秀 (2199は不安感が艦内の陰謀にすり替わっている)
「それで、結論は?」
「アニメ業界の技術は向上したのだが、劣化した要素もある」
「なぜ劣化した要素があるんだ?」
「日本人全体が劣化しているという問題もあるし、アニメが一般化しすぎて、そこに緊張感が無いという問題もある。しかし、ヤマト1974はアニメとしてそれを作ることが既に冒険だった。しかし、ヤマト2199にはそれほど大きな冒険はなかった。確かにヤマトで客が来るかという不安はあったと思うが、アニメ技術的な意味での不安はなかったはずだ」
オマケ §
「アニメ技術的な意味での不安はなかったはずだ」
「でもさ。けっこう君はアニメ技術的な意味でハラハラしながら見ていたと思うよ」
「いや、明らかに復活篇と比較して映像がレベルダウンしたので、やはりハラハラしたよ」
「でも不安は無かったはずだとは?」
「作り手側はそのハラハラ感が分かってなかったと思うよ。けっこう多くのファンも」
「なぜ【分かってなかった】と思うの? なぜそこに違いが出るわけ?」
「CGを使い始めた頃のアニメの映像なんて悲惨の一言。学芸会レベルの映像も珍しくなかった。今でこそ、極端に恥ずかしい映像はないけどね。でも、それだけ。それがアニメ業界の普通の水準。けっこう上手い下手の格差は露骨に存在する。そこまでの露骨な差は、分かってたら出ない。見ている側も【アニメって素晴らしい!】と脳天気に思っている人達は、当然意識してない。そもそもアニメを見てアニメを見ている以上、アニメ的なCGの使い方を当たり前だと思って受容するしかない」
「じゃあ君の立場は?」
「映画を見る人の立場。こっちは、上手いことが前提。下手な映像は淘汰されちゃう世界。想定する基本的な水準が違う。まあ下手な場合もあるんだけどね。でもそれはちゃんと批判の対象になる」
オマケ2 §
「某月棒日、「宇宙の望郷、母の涙は我が涙」を見ていたおいらは、世間から何十年ずれているのか分からないが、内容の凄みに圧倒されたから全く不満が無い」
「どこがいいんだ?」
「相原の感じる不安感は、実際にはヤマト乗組員全員の不安感なのだ。そのことを島が明らかにする。ところが、精神が限界を超えた相原に対して、その島がトドメの一撃を与えてしまう。皮肉なことだが、当然島は相原の状況など知らないから止むを得ない。その皮肉が素晴らしい」
「それはヤマト2199には存在しない要素なのだね?」
「そうだ。不安感はヤマト2199にはほとんど存在しない。その代わりに、陰謀が存在しているのだが、それは人の心の弱さの表現としてはあまり上手く行っていない」
「ヤマト1974ならバッチリ?」
「ちゃんと心が届いたよ」