「堀井甚五郎さんに教えて頂いたヤマト小説【我が魂よ、幾年流離おうとも】を読んでみてたまげた」
「君はホモ小説を読むのかい?」
「普通は読まないが、希に読む場合もある。ただこの場合、ホモ要素を除外しても興味深い要素が含まれる」
「それはなんだい?」
「ネタバレ防止の空行を入れよう」
ネ
タ
バ
レ
防
止
の
空
行
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っ
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っ
て
る
か
い
「というわけで続きだ」
「それで?」
「この小説は以下の点で重要な示唆を与える」
- デスラーの彗星帝国での立場はかなり厳しい。玩具にされても文句は言えない。ホモの玩具ではないかもしれないが、玩具扱いされた可能性はある
- その状況下でデスラーが正気を保つことは、おそらく無理だろう
- タランは実在せず、デスラーの幻影に過ぎないという解釈は、説得力を持つ
「まあ、ガミラス人の全員とヤマト乗組員の大半とヤマトそのものを無かったことにした小説を書いているおいらが言うのも何だが、【さらば宇宙戦艦ヤマトのタランはデスラーが見た幻影】という解釈は非常に秀逸だ」
「なぜ?」
「実は、さらば宇宙戦艦ヤマトにおいて、タランはデスラー以外との会話が存在しないのだ。存在していることで、デスラー以外の相手に何の影響も与えていない。デスラー以外の人間からは一切存在を意識されていない。デスラー艦のブリッジにいたミルですら、意識していない」
「ほほう」
「そこから逆算すると、はたしてデスラーの狂気が存在したのかが問題だが、これは存在しても何らおかしくはない。その狂気の出発点はおそらくドメルの死だろう」
「デスラーとドメルのホモ関係を想定するにしてもしないにしても、ドメルの死がデスラーの意識を変えたのだろう……という推定だね」
「そうだ。シュルツにはあっさりと死ねと言えるデスラーが、ドメルは殺せない。その差は、死によるデスラーに対する影響の大きさの違いを意味する。シュルツが死んでも別にデスラーは狂わないが、ドメルが死ぬとデスラーは狂う」
「なるほど」
「まして彗星帝国での立場は脆弱だ。タランが生きていても大差ない。狂気が癒されて直る可能性などないし、治療してやろうという者もいないだろう」
「ひ~」
解説 §
「で、デスラーが都市帝国人にドメルの幻を見る展開は、タランが幻である結末にスムーズにつなげるためのステップとして描写なのだ。ここで、読者は【そこにいないはずの誰かを見てしまう】というデスラーの振る舞いに慣らされる。タランがいない描写の唐突感を緩和している。そういう意味で上手く書けていると思う。ホモ要素抜きでも」
「ヤマトファンには本当に優秀な人材がいくらでもいるってことだね」
「ではこの優秀な人材を集めればヤマトを作れるのか?」
「作れるの?」
「みんなポリシーが違うので、たぶん5秒で製作プロジェクトが空中分解」
「ダメじゃん」
オマケ §
「総統閣下」
「なんだねタラン」
「彗星帝国で1つファイトクラブを始めてはいかがでしょうか」
「君と2人でかね」
「そうです」
「ふふふ。面白そうではないか」
オマケ2 §
「地球の電波を部分的に傍受しました」
「再生したまえ」
「タリラリラーンノコニャニャチハ」
「タラン! そこにいたのか!」
「地球の電波ですって」
オマケIII §
「おかしくなられている」
「ヒス君、君は馬鹿かね?」
「狂人に意見した私が馬鹿でした」