「実は、大ヤマト零号とコスモウォーリアー零という補助線を得ることで、SBヤマトとヤマト2199の間にある壁とは何かが明確に見えてきた」
「どういう補助線なんだい?」
「時系列的に言うと、完結編→2520→コスモウォーリアー零→大ヤマト零号→復活篇→SBヤマト→ヤマト2199→ヤマト2202ということになる。そう考えたとき、SBヤマトまでは継承されてきたある要素がヤマト2199になってぽっかり消えて無くなることが分かった」
「それはなんだい?」
「【敗戦】だよ」
「敗戦?」
「自らの立場が否定され、抑圧環境にあること……と言っても良い。コスモウォーリアー零が最も顕著であるが、他の作品も大なり小なりそういう要素を含む。SBヤマトまでは」
「SBヤマトのどこにそれがあるんだい?」
「そもそも古代登場の冒頭のシーケンスがまさにそれにあたる」
「薄暗い地下室で、いろいろ物資を横流ししてもらっていると言われて古代が殴るところだね」
「そう。あれは非常に良かった。作品の背景に流れる空気感の明示的な映像化になっていた」
「でもさ。ヤマト2199でもカストリ酒とか闇とか出てくるじゃないか」
「言葉だけな」
「えー」
「そういう言葉を使ってはいるが、屈折感とか、暗い感じは何も出ていない」
「なぜ言葉だけになった?」
「戦後の闇をかぶって生きてきた世代には常識だ。だから、そういう世代が作る大ヤマト零号にもコスモウォーリアー零にも当たり前のように闇が入ってくる。歴史マニアで他作でも戦後の闇をしっかり描いている山崎監督も当たり前のように闇を描ける。しかし、オタク世代はもうその時代を経験していないし、知識もないから描けない。そんなところだろう」
「それでも、一生懸命カストリ酒とか闇とか言葉で近づこうとはしたわけだね」
「しかし、それは表面を軽くなぞったに過ぎないものになってしまった。まあ知らない以上は必然だけどね」
「ヤマト2199の主要スタッフと同年代の君がなぜそれを言える」
「そりゃ、昭和20年代は大好物の郷土史研究家だからね。病的に過去を振り返ることを拒絶するオタク層とは最初から立っている場所が違う」
「なるほど」
「そして、ヤマト2202になると、もはや言葉による表面的な追従すら無くなり、もはや敗戦感は消失する。ガミラスの攻撃はもはや天災のようなもので、ガミラスと仲良くすることは当たり前だ。ガミラスの立場はもはや敵ではなく、311における東電みたいなものでしかない」
「さらば宇宙戦艦ヤマトにあった【間違った復興】という価値観ももう無いね」
「ヤマト2199というクッションを置いて、もうヤマトは違うところに行ってしまったと思うよ」
「君はもう見送ってしまったのかい?」
「そうかもしれない」
「未来に向かって付いていかなくていいのか?」
「昭和20年代好きの郷土史研究家としては、付いていく意味なんてないし、そもそも未来に向かったかどうかも分からない」
オマケ §
「そうそう。次元航海からも【敗戦】感はあまり伝わってこないが、これは別に理由がありそう」
「別の理由とは?」
「松本ワールドのクロスオーバー優先だからね」