「【人間を描く】【感動的な物語を作る】を、【不幸を量産すること】と勘違いした人は割とプロでも多い。その結果、実写アニメを問わず、不幸の押し売りになっている作品は多い」
「たとえば?」
「事例なんぞあまりに多すぎて1つ1つ覚えてなどいない」
「それでも一つ」
「ヤマト2202も不必要に不幸が多い。不幸ばかりで見ていると気が滅入る」
「そこが勘違いってことだね」
「あれは物語作りが下手……、というより基礎がぽっかり抜け落ちて迷走している」
「それは大問題?」
「大問題ではあるが、既に言った通り実写の映画でもアニメでもそういう事例は多く見るよ」
「ヤマト2202が特別だと思うなよってことだね」
「そう。似たような事例は非常に多い」
「で、不幸の量産は何が問題なんだい?」
「人間が描けていないという批判を受けて不幸を量産すると逆に人間がより描けなくなってしまうという逆説があるのだ」
「なぜそうなる」
「人は不幸だけで生きているわけではないからだ」
「じゃあ不幸をきちんと描いてはいけないわけ?」
「不幸ばかり強調すると人間らしさを失うというだけで、普通に不幸になる状況で不幸にならなかったらそれもまた人間らしく見えない」
「つまり、人間が人間らしく見えないというヤマト2199の後を受けたヤマト2202がもっと人間を人間らしく描けなくなってしまう逆説にも必然があるわけだね」
「そうだ。何が批判の対象だったのか。何をどう改善すればそれを解決できるのか。そのあたりの錯誤は実は典型的に存在する。典型的であるがゆえに、はまるときは非常に簡単にはまり、そこからは抜け出せない。しかも、そういう不幸に酔いたいタイプのファン層は存在するからますます問題が見えにくくなり抜け出せない。抜け出せないからこそ、そういう作品はかなり多い」
「で、不幸の押し売りは何が不味いの?」
「最初、客はビックリして感動したかのように錯覚するが繰り返し見たいとはあまり思わなくなっていく。そのため、見えにくい形で徐々に客が減る」
「ビジネス上のマイナスとして表出するわけだね」
オマケ §
「ガンダムビルドダイバーズの第1話を見たが、そっちの方がはるかに上手かった」
「ガンダムでいいのかよ」
「良くないけど、キャラの配置や物語構成ははるかに上手い。そのあたりの話はいずれやろう」