- 61 最終決戦!ザ・ジェネシス・前編!!
- 62 最終決戦!ザ・ジェネシス・後編!!
- 63 終わりなき脅威!
DVDは届いたものの §
3枚オーダーしたDVDのうち2枚届きましたが、肝心の続きの1枚がまだ届いていないので見られず。
ちょっと気になっていたジェネシス戦のあたりを寝る前に見直しました。
ジェネシス戦は何のため? §
エイリア石の力をアピールするためにジェネシスが雷門を倒すはずでしたが、途中でエイリア石の力を止めるイベントのあと、ジェネシスがエイリア石の力を使っていないことが明らかになります。
どうもこのあたりがスッキリしません。
いったい雷門は何を否定するために誰と戦ったのか。
宇宙人がフェイクだとしても、エイリア石を否定するために戦ったのではなかったのか。
しかし、ジェネシスがエイリア石を使っていないとすれば、ただ単に【吉良の手先と戦った】という意味しかありません。ですが、それをサッカーで行う意味があったのか。鬼瓦が警官隊と警察手帳を持って来れば良かった話ではなかったのか。どんなに訓練で強化された少年少女だろうと警官が持っている拳銃の弾よりも速く走れるわけではないでしょう。
とすれば、全ての虚飾を取り去ったあとに残るのは吉良父娘の確執のみ。
そして父は負けます。
パパと娘が争ってもパパは勝てません。
いや、そうでもないか。
実は、円堂とヒロトの確執もあります。
正体を隠して接近したヒロトに対する屈折した円堂の心もありますね。
そもそも彼らが愛したサッカーとはなんぞやという形而上的な思想の激突も起きているのかも。
そういう意味で最終決戦は既に宇宙人でもエイリア石でもなく、人生哲学、生き方そのものの激突になっていたのかも。
このあたりの物語の組み立てはそれほど上手くないし、盛り上がる構成でもないような気がします。そもそも、鬼瓦が簡単にエイリア石に近づける理由も分からないし、ジェネシスが強い理由もはっきりしないし、リミッター解除も意味不明です。
そして改めて上手く組み直したのがイナダンのストーリー構成でしょう。暴走するフランの心の闇とそれを受け止める少年達という構成だと上手く綺麗に収まります。脅威の侵略者編だと、暴走する吉良を雷門とジェネシスの全員で受け止めるような方向性です。
しかしまあ、超次元サッカーは何でもありと思うなら全体の整合性なんてどうでもいいのかな。
ともかく、円堂の熱血がヒロトと激突すればいい。
勝って泣こうぜの精神ですよ。
勝つためにはまず試合。
頭を下げる瞳子、円堂 §
実はジェネシス戦で瞳子と円堂が頭を下げる場面があります。
おのれの限界を知り、仲間に頭を下げることで人間として一回り大きくなります。
そういう意味で、脅威の侵略者編は瞳子が真の監督になる話でもあるし、円堂が真のキャプテンになる話でもあります。
(ついでにイナダンは天馬が神童から「本物のキャプテンになったんだな」と言われる映画です)
吹雪が真のストライカーになり、いつも突破されっぱなしのディフェンス陣が共同で止めることを学び、雷門はまさに最強になります。
もっとも、「まさに最強になった雷門」はジェネシス戦の後みんな離れて消えてしまうのですけどね。
オマケ §
「イナズマ111(レイブン)!」
「ちょっと待て。11(イレブンだろ)」
「何を言ってるんだ鬼道。イナイレは超次元サッカーだぞ。サッカーフィールドにペンギンを呼べることを知っている癖に、どうしてEF-111レイブンを呼べないと決めつけるんだ」
「そんなものを呼んでどうする」
「電子戦機を呼んで軍事衛星フォボスに対抗するんだよ!」