「閃光のハサウェイのレンタル期間は1週間だったので、繰り返し見た。昨夜は4回目を見た」
「ふむふむ。そんなに繰り返して見る意味がある?」
「ある。実は割と状況だけ投げ出すような演出をしているので、意味の分かりにくいシーンや台詞があって、そこは勢いで流して見ても良いのだが、繰り返すと【そういうことだったのか】ということも多くある」
「それで特に気になったことがある?」
「うん。ガンダムの戦闘は基本がチャンバラなんだ。モビルスーツは人であり、光る剣や斧を持って出てくる。そして斬り合いをする。でも、閃光のハサウェイではほぼ斬り合いがない。クスィー対ペネロペー戦でビームサーベルが出てくるのは、捕虜についての会話をする時だけで、ほとんどチャンバラの快感は存在しない」
「有視界戦闘じゃないってこと?」
「ミノフスキー粒子の存在はチャンバラを保証しない。もっと遠い間合いでも相手は見えるからね」
「じゃあ、チャンバラの代わりにあるものはなんだ?」
「ACE COMBAT的な世界だと見えたよ」
「どういう意味だ?」
「エアロコフィンに乗り込んでHUDのコンテナを見ながらビームライフルという名のTLSを撃って、たまにADMM的な多連装ミサイルを撃っている感じだろう。短距離ミサイルの連射という感覚のシーンもあるな。カメラが立体的にまわるカットもある。あれはアニメ的ではないが、ACE COMBATで空戦をしているとよくある」
「雰囲気が全天周リニアシートではなくエアロコフィンに近いわけだね」
「そう。設定的にはリニアシート的な形をしているが、映し出されているものはエアロコフィン的だ」
「それだけ?」
「パイロットの軽口も、割とACE COMBAT的だよ」
「なるほど。カウントあたりがマフティのモビルスーツに乗っていても違和感が無いわけだね」
「でも、トンネルには飛び込まない」
「なぜトンネルを飛ぶモビルスーツというシーンはない?」
「たぶん、モビルスーツには足があって歩いて行けるからだろう。それはつまらないシーンになる」
「では、閃光のハサウェイはACE COMBATという結論かい?」
「そうとも言えない。閃光のハサウェイの戦闘はガンダムよりACE COMBATに近いとは言えるが、ACE COMBATっぽくない部分も多い。むしろ、閃光のハサウェイにおいて、スタッフの共通認識を作るのにACE COMBATは役立ったと見るべきではないかな。そして、閃光のハサウェイは正当なガンダムの続編でありながら、ガンダム的な価値観を一部否定して成立している」
「原作は正当な続編だね」
「富野由悠季監督自らの小説だからね」
「富野原作のアニメでガンダム的な価値観を否定していいの?」
「たぶん、富野監督自身も否定したいよ。否定したい方向が同じかどうかは知らないけどね。まあ違うだろうけど」
「なるほど。では最後にまとめるとどうなる? ACE COMBAT的に」
「【ホフヌングが燃えている】を燃える街にいる一般市民の視点から堪能できると思ったよ」
「自分たちの街を燃やすことにためらいがない敵にビックリするパイロットもね」
「全くビックリするようなMISSION 11 The Inferno【焔】だよ」
「もしかして、閃光のハサウェイのゲームを作るなら、スパロボのシステムより、ACE COMBATのシステムの方が似合っているんじゃないか?」
「かもね。ガウマンやエメラルダの軽口を聞きながらミノフスキークラフトで飛ぶクスィーでミサイルとビームをばらまきながら空戦してみたいよ」
オマケ §
「そうそう。都市を襲撃するマフティーの部隊が低空からぐっと高度を上げるときには、AWACSの【高度制限を解除する】という幻聴が聞こえてくるようだ」
「高度制限ミッションはACE COMBATの定番だからね」
「低空から高度を上げるところで盛り上がってくるのがACE COMBATプレイヤーなのだろう」
「なるほど」
「でも、空中でモビルスーツをキャリアから切り離す描写はACE COMBATには見られない閃光のハサウェイならではの見どころだ」
「輸送機から空挺戦車を落とす描写とも違うわけだね」
「似ているが違う」