このサイト「オータム マガジン」を開設するにあたって、それまであった「川俣 晶のウェブサイト」は旧館と呼ぶようになり、過去のものであると位置づけられました。とはいえ、「川俣 晶のウェブサイト」にもそこそこのアクセスがあって、人が訪れていました。それにも関わらず、それを過去のものにして、「オータム マガジン」を開設しなければならなかったのはなぜでしょうか。
その理由は、いくつかの要因が複合していて、単純に1つの理由だけに絞り込めるものではありません。その中の主要なものを紹介してみます。
まず、「短いプログラム事件」という事件について説明しなければなりません。これは@ITに掲載されたオピニオン記事「ソフト開発を成功させる1つの方法」(2001年10月20日)に対する、やや過剰な反応と、それに対していくつか対処する必要に迫られた出来事に、便宜的な名前を付けたものです。この記事の内容を要約すると、「世の中にある様々なプログラム開発の方法が、プログラムを短くするという方法論もある。嘘のように見えるが結構うまく行く。しかし現実的には使えない」ということになります。この事件では、意図せずして過剰に反応して叩きやすい話題になっていたようで、2ちゃんねるや日本のスラッシュドットなどで様々な、(全てがそうだと言わないものの)幼稚な罵倒や攻撃的な文章が見られました。過剰な反応がエスカレートとした一因には、大幅な説明不足という問題があります。これは、直接的には、このオピニオン記事に指定された文字数では、十分に説明を尽くすことができなかったことを意味します。しかし、間接的に言うと、私の持っている意見を表明する文章があちこちに分散していて、私を知らない人が私について知りたいと思ったときに、それが把握できないことも問題であると言えます。つまり、もし「この変な文章を書く川俣とはいったい何者なのだ」と誰かが思ったとして、それに対して答えうるサイトが存在しないと言うことです。確かに、「川俣 晶のウェブサイト」というものは存在しますが、そのようなニーズに耐える内容を持っていたとは言えません。つまり、内容が圧倒的に足りなかったのです。それゆえに、彼は自分が第1印象で作った虚像に対して攻撃することになりますが、それは虚像でしかないわけです。
では、「川俣 晶のウェブサイト」に内容を足せば良いのか、というと、それにも問題があります。更新の手間が非常に大きく、ついつい更新が後回しになりがちになっていました。この問題に対する回答は、と~のZERO歳システムの運用から得られました。このサイトでは、毎日数個の新規コンテンツが追加されながら、書き手に重い負担は掛かっていません。そして、これは1年以上も継続しているのです。これにより、実はコンテンツの本体を書く手間は大したことがないということが分かりました。面倒なのは、目次や最近の更新情報などの情報を、すべて手動で正しく維持する作業だったのです。また、いちいちファイル転送したり、ヘッダやフッタのような定型文章を追加する手間も掛かります。(このあたりは多少自動化されていましたが)
そのような状況から導き出される結論は、更新に手間が掛からないシステムを用いて、全方位的に手厚いコンテンツを含むサイトを立ち上げることでした。そのようなニーズを前提とした場合、従来の「川俣 晶のウェブサイト」は十分な構造を持っているとは言えませんでした。ですから、全く新規に新しいサイトを構築する必要があったのです。
それはさておき、上記のような目的、つまり川俣という人物が分かるようなサイトを構築するという目的は、現時点ではまだ達成できているとは言えません。しかし、1年ぐらいいろいろなコンテンツが蓄積されていけば、その目的に近づくことになるでしょう。(だから、このサイトを読んでも川俣という人物が分からないぞ、という突っ込みはしばらく禁止です)
更に、最後に1つ補足しておくと、「短いプログラム事件」は1つの契機、1つの理由に過ぎないということです。人間はコミュニケーションする動物であり、コミュニケーションせずには生きられないとすれば、いかに良質のコミュニケーションを実現するかが重要な課題です。それに対する個人的な1つの試みが、このサイトです。事件になっていないが、コミュニケーションにマイナスの出来事が、気付かないうちにいろいろあったことでしょう。それに対する対処の試みでもあるのです。