2003年12月09日
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なぜGNUよりもLinuxについて語られ続けるのか、なぜC#よりもJavaについて語られ続けるのか

Written By: 川俣 晶連絡先

 まだ読んでいる途中の本で、本来なら読了後に過去形 本の虫→感想編に書かれるべき話ではありますが。

 非常にハッとする文章に出会ったので、ここに書いておきます。

心理学化する社会(斎藤環著、PHPエディターズグループ刊、入手編) p144より

今や僕たちが求めているのは、理解不可能だが物語化しやすい他者としての犯罪なのではないか。言い換えるなら、今後も僕たちの物語システムになじまない他者は、最初から黙殺されてしまうしまうだろう。海外の猟奇犯罪や外国人の犯罪に対して、一定以上の関心が向けられないのはこのためだ。しかし「佐川一政」「東電OL」「酒鬼薔薇」といった「他者」たちは、理解不可能でありながら、徹底して理解と物語化への誘惑にみちた他者でもある。

 この文章から私が何を思ったのか。

 それは、私が感じている、最近のインターネットあるいはコンピュータ業界に見られるある種の傾向について、語っているかのように思えたのです。

「理解不可能だが物語化しやすい他者」という概念で解釈する §

 たとえば、GNUとLinuxについて語られる言葉の奇妙な逆転現象があります。GNUの方が、ネームバリューもある大物が手がけていて、明確なポリシーもある重要なものであると思います。GNUは、そう簡単に他のもので置き換えられない価値があります。しかし、Linuxは、無名の個人が作ったUNIX互換OSの1つに過ぎず、どうしてもLinuxでなければならず、同種の他のカーネルでは駄目だという理由も見あたりません。

 あるいは、JavaとC#の関係で言っても良いと思います。明らかに、Javaにはいくつもの問題があります。「冷静に見れば分かるでしょう」としか言いようのない当たり前の問題点がいくつもあります。それにも関わらず、それを正当化するような言説が繰り返し作られ続けるのはなぜか。そして、その言説があたかも事実であるかのように一人歩きして、人々の間で増幅されつつあるのはなぜか。一方、Javaよりも、よほど現場の感覚に適合するC#について語られる言葉が、不当とも思えるほど少ないのはなぜか。

 他にも同じような話はいくつもあります。(オブジェクト指向についての言説が繰り返され続ける、という状況も同じような話と言えるかも知れません)

 これは、「理解不可能だが物語化しやすい他者」という概念を持ち込むと、すっきりと解釈できるのではないか、と感じたわけです。

 ここで取り上げられている物語システムは、「理解不可能」でかつ「物語化」しやすい「他者」が求められていると言えます。この3つを満たすものが、まさに人々のニーズに合致すると言えます。

理解不能であること §

 まず、Linuxには様々な理解不能の特徴があります。世界的なOSがフィンランドから生まれてきたことも通常の感覚から言えば理解不能の領域と言えるし、バザールモデルの開発スタイルなども、同様に一般人の常識からは理解不能の領域と言えるでしょう。それと比べれば、GNUの主張は理論整然としていて、賛同するかどうかは別として、容易に理解可能なものです。Javaの例で言えば、プログラムが機種やOSに依存しないといった特徴や、Webブラウザ上で動き、インストールしなくても使えるプログラムを実現すると言った主張は、Javaが登場した時点での常識から言えば、理解不能の領域にあったものだと言えます。もちろん、技術詳細を調べれば、それなりの技術的な根拠があるものと分かりますが、技術情報を読みこなせない大多数の利用者からは、理解不能という印象を持たれていた可能性が高いと思います。

物語化しやすい、ということ §

 LinuxやJavaは、物語化しやすい、という特徴にも適合します。フィンランドの無名の人物が、様々な出来事を通して、Linuxを世に広めていくことは、実に物語的に魅力的です。それに対して、真面目に敵対する言説に対する批判を繰り返しながらストイックにコードを書き続けるGNUは物語に成りにくい感じがあります。Javaは、マイクロソフトや過去のしがらみから利用者を解放するという物語性があります。しかしC#にはそのような物語性はありません。

他者であるということ §

 最後に、「他者」ということは重要な意味を持ちます。仕事で今まさに必須の技術として要求されていない領域にあるからこそ、LinuxやJavaは物語システムの主役になれた、と言うことができるように思えます。今はもう、仕事で必要とされている状況も多いと思いますが、生まれた当時は違う状況だったと思います。LinuxやJavaは、多くの利用者から見て、自分に直接関わりのあるものではなく、完全な他者として登場してきたものです。その後も、LinuxとJavaが物語システムの主役であり続けたのは、逆説的にこれらがナンバーワンシェアを取っておらず、多くの人から見て「他者」であり続けているためだと言えるかもしれません。Linuxがいくら頑張っても、デスクトップOSの主流は相変わらずWindowsであり、Javaも一般の泥臭い開発現場に浸透したとは言い難い状況です。

 一方、C#は、多くの場合自分の仕事に直結する当事者としてプログラマの目の前に現れることが多いと思われるので、他者であるという条件を満たしません。

 GNUの場合も、GNUのソフトウェアはWindowsを含む多くのプラットホーム上で動くために、使い始めれば即座に利用者から見て当事者となり、「他者」ではなくなってしまいます。OSとしてのLinuxよりも、はるかに容易に、他者性が失われると言えるかも知れません。

結論はありません §

 と言うわけで、ここでは結論はありません。

 このような類似性を感じたということを書いただけの文章です。

 ただ、このような状況を、何らかの判断の基準として使ってみる、ということは可能でしょう。つまり、社会から求められた物語システムの主役と、実際に泥臭い現場で使われる技術の相違を判断する助けになるかもしれない、と言うことです。

 それが正しいかどうかは知りませんが。

 ただ、物語システムの主役は、あくまで他者であるから魅力的なのであって、当事者になってしまうと別の感想を持つことになる可能性はあり得ることでしょう。

 ……たぶん。

 ……根拠は無いですが。

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