あと1週間程度、12月12日までの開催ということなので、とりあえず東京都現代美術館のピカソ展-躰[からだ]とエロス-に行ってきました。
なぜピカソか §
ピカソというのは「偉い人、そんなの常識」と認識されていながら、さっぱり分からないと言われる定番の画家でもあります。
しかし、「あ、そうか」と思うことができた瞬間があります。ずっと昔、箱根 彫刻の森美術館のピカソ館に行った時、社会的な評価の高い完成された有名作品だけでなく、試行錯誤的な作品も含めて見た時、難解なデザインと常識の間のミッシングリンクを発見したような気がしました。つまり、ピカソという人物のコンテキストを発見することで解釈可能になった、と表現しても良いと思います。
つまり、ピカソを分かる方法はあるという確信があればこそ、見に行こうという気持ちになるということです。(もちろん、方法はあるという確信を持つことと、本当に分かることは別です)
偶然の悪戯 §
行きの電車の中でマンガを解剖する 布施英利 筑摩書房を読んでいたところ、そこでピカソの名前に出会いました。p107で「ゲルニカ」と、しりあがり寿の「カモン! 恐怖」のコマを並べて三角形の構図の安定性の説明が行われていました。単なる偶然ではありますが、ちょっとだけ気持ちが盛り上がりました。
深川に溢れるピカソの名前 §
清澄白河の駅を降りていつも通り深川江戸資料館の前を通って行こうとしたところ。
深川資料館通り商店街(というらしい)の道には、「ピカソ通り」ののぼりが延々と続いているではありませんか。
清澄白河の駅近くから、東京都現代美術館の前までありました。相当な距離ですから、かなりの数だと思います。
更に、こんな宣伝まで。
商店街も一緒に盛り上げているのが良く分かります。
しかし、深川江戸資料館といえば、日本の江戸時代の江戸を見せるのが売りです。その周辺も、深川の伝統的な風俗っぽいものを提供する店が並んでいます。それが、西洋近代の画家であるピカソを使って盛り上げようとするのは、ちょっとミスマッチがあって面白いです。
難解でありすぎる……か? §
というわけで、東京都現代美術館に到着。
確かに、ピカソ展をやっています。
実は、ピカソのようなメジャーな画家の展覧会は混みすぎてよく見られないのではないか、という危惧を感じていました。
実際、中に入ってみると、かなりの人だかりが……。
しかし、どうも変です。
実は、文字で書かれた解説文の前にばかり多数の人が群がっていて、絵の前の人数はさほどでもないという妙な状況が起こっていることに気付きました。
せっかく、ピカソの絵の現物が並んでいるというのに、それよりも文字ばかり読むといいうのは、何をやってるんだか……。
やはり、多くの人達にはピカソの絵は難解すぎた?
その状況を把握してからは、解説を全てすっ飛ばして絵だけ見ていくことにしました。絵を見に来たのですから、当然ですね。とはいえ、数は少ないとはいえ、絵の前の人数もじっくり見るにはやや多い感じです。ゆっくりと前の人が動くのを待つのもイヤだったので、絵の方もかなり飛ばしました。とりあえず、スケッチ的なものは私のような立場で言えば飛ばしても構わないような気がしたし、要は「数じゃない」と思ったので。
異化作用という愉悦 §
正しい見方かどうか分かりませんが、良く知っているはずのものが、良く分からない形に展開されている絵を見ていると、「異化作用(異化効果)」が発生するのを感じられます。これは面白いと思いました。
更に、絵の中の面白い形は、全く別の何かが描かれているかのように見えることを見出したり。新鮮で見ていて飽きない感じがありますね。