謎のアニメ感想家(笑)、翼の騎士トーノZEROのアニメ感想行ってみよう!
今日のファフナーの感想。
サブタイトル §
第23話 「劫掠 ~おとり~」
あらすじ §
人類の憎しみを学習したフェストゥムは、人類軍最後の切り札となるマークニヒトを奪い取り、真矢の父らその場の人間達をすべて殺します。
竜宮島では、フェストゥムに包まれたジークフリードシステム内の総士を救出する作戦が開始されます。コアを失ったフェストゥムに、乙姫がコアとなって自己崩壊させる作戦でした。
それは、一時は成功しそうになります。
しかし、マークニヒトが島に襲来し、ジークフリードシステムを包むフェストゥムを支配し、島の地下基地に侵入の手を伸ばします。
島のファフナーも壊滅します。
感想 §
ものすごく圧倒される内容であり、ここに書いたあらすじは内容の1割すら表現していません。ともかく、人が多く死んでいく壮絶な話です。
しかし、それゆえに、あえてクールに感想を書き記しましょう。
今回は、圧倒的な力によって何もかも破壊され、多くの者達が死んでいく内容です。
それは、20世紀末の世紀末ドラマによく見られるパターンであると言えます。1つの事例として伝説巨人イデオンをあげても良いでしょう。イデオンでも最終的に登場人物はみな死んでしまいます。そして、新しい命が新しい世界に旅立っていくという宗教的な結末になります。全てが滅び去り、その先にこれまでとは関連性のない新しい世界が見えるというのは、20世紀の世紀末ドラマの1つのパターンと言えます。
では、ファフナーはそのパターンを踏襲しているのでしょうか。
そうではありません。
イデオンにおいて破滅は、何か分からない超越的な力によって不可避に登場人物達に降り注ぎます。しかし、ファフナーにおいては、唯一にして不可分であるフェストゥムによって破滅がもたらされます。フェストゥムは学習する主体であり、憎しみという感情を学習したことにより、残虐な戦い方を新たに行うことができるようになりました。そのことが、今回の内容をあまりに破滅的な雰囲気にしています。しかし、破滅的であることは、憎しみという感情を学習した結果に過ぎず、不可避の破滅というわけではありません。乙姫が「やめて、人は憎しみばかりじゃないのよ」と叫んでいるように、人間の持つ他の感情を学習することによって、他の展開があり得るわけです。
つまり、イデオンにおいて、破滅はあらかじめ定められた手順の1段階に過ぎなかったのに対して、ファフナーの破滅は「分かり合うためのプロセスの1段階として痛み」となりうる可能性を持ちます。言い換えれば、ファフナーにおいては、破滅的な状況を経験しなければ分かり合えないほど深いギャップを描いていると言って良いかもしれません。そして、それは(当事者には無自覚的であろうと思うけれど)、現実社会にいくらでも転がっている深いギャップであると言えます。
さて、その先まで更に主張すべき様々な言葉が思い浮かびましたが、それは今回の感想としては書くのをやめておきましょう。勝手に先走っても仕方のないことですし。
しかし、これだけは言えます。
ファフナーは凄く良い作品です。ずっと、良い意味で常に裏切られ続けています。
今回も、全く予想外のいくつも見られましたが、良く練り上げられており、非常に良心的に手間を掛けて作られていることが良く分かります。
今回の名台詞 §
乙姫「やめて、人は憎しみばかりじゃないのよ」
やはりこの台詞が最重要でしょう。この台詞が、この作品が語っている状況の本質を的確に物語っています。なぜ破滅的な状況が発生しているのか、その理由もはっきり示していると共に、あり得る希望的な結末の姿まで示唆しています。