単なるアイデアのメモなので、無意味監獄に書いておきます。
内容は信じないように。
前提 §
コンピュータを扱うことが精神的病理に結びつきやすい、という主張が正しいと仮定して始めます。
ここでは、その理由について検討します。
コンピュータを扱うことの特異性 §
コンピュータは、他の様々な機器と比較して、扱う対象が特異であると言えます。
情報とは、目に見えず、手で触れることもできないからです。形も重さもありません。
これを扱うためには、モデルを構築し、モデルを通して情報を扱うことになります。(画面に見える文字の画像も、それぞれモデルを通して見えるものに過ぎません)
モデルの特異性 §
モデルを構築する際、そのモデルはいかなる形を取っても構いません。
たとえば、数値イコール文字というモデルを構築する際、数値1がアルファベットのAになるか、ひらがなの「あ」になるか、いずれかの選択を強制する根拠は存在しません。(作ったモデルを運用するときは、モデルが選択を強制する根拠になる)
従って、モデルを構築する者は、あたかも神のごとき万能の創造主の感覚を味わうことができるという認識を持ちます。
モデルの実現不可能性 §
しかし、全てのモデルが実際にコンピュータ上で運用できるのかというと、そうではありません。
情報の法則が厳然と存在し、「矛盾なく記述することができない」「曖昧さを排除して記述することができない」「現実的時間内に計算できない」「そもそも計算できない」といった状況が発生します。
従って、モデルの構築という作業は、厳然と立ちはだかる法則の隙間を縫うように行われる泥臭い作業となります。法則に支配される奴隷と言っても良いでしょう。しかも、モデルの構築は、いくら努力しても「できない」ことすらあり得ます。
頂点から地の底に突き落とされるモデル構築者 §
以上のようにモデル構築者は、神の境地から奴隷の立場に突き落とされます。
しかし、そのような立場はたいていの場合理解されません。
周囲から神のごとき万能者と見なされ、あらゆる要求が可能と思われるかもしれません。しかし、彼は神ではなく、法則の奴隷でしかありません。
「簡単にはできないこと」あるいは「そもそも不可能なこと」を気楽に実行できると見なされ、要求されることも珍しくはないでしょう。しかし、彼はなぜそれができないのか、適切に説明することができないケースが多いでしょう。そこで、彼の精神は強く引き裂かれます。
また、本人の心理として、「自分は万能の存在であったはずだ。そうでなければならない」という思いがあれば、そこで自分で自分の精神を引き裂くことになります。
つまり、精神的な病理に結びつきやすくなるわけです。