2008年に始まる新番組、マクロス・フロンティア(F)の特番を見ました。
その結果、どうも微妙に違和感が残る感触でした。
この話は「板野サーカスのトラウマをACE COMBAT 5で晴らすというのは、どういう意味だろう?」の続きとなります。
ちなみに最初に断っておきますが、これは全く私個人の感じ方の問題であって、一般論としての映像の優劣の話ではありません。感じ方が違う人は別の結論になるでしょう。そういう性質の話です。
板野サーカスの官能性とは何だろう? §
先に話の要点を書いてしまうと、以下の3点です。
- かつての超時空要塞マクロスTVシリーズや劇場版「愛・おぼえていますか」の戦闘シーンからは映像の快楽を感じられた
- マクロスFの戦闘シーンの映像からほとんど映像の快楽を得られなかった
- しかし、ACE COMBATシリーズからは映像の快楽が感じられる
ならば、マクロスFとACE COMBATの差は何でしょう?
考えてみた・その結果は §
いろいろ考えた結果、以下が2つを分ける鍵ではないか、という気がしました。
- ある規律に従い動き続けるカメラによって、別の規律によって動き続ける物体が捉えられる(あるいは捉えられない)状態の有無
映像の快楽があるケースは、これがあるということです。
旧マクロスの板野サーカスとは、走るバイクから発射されたロケット花火を見る視点がベースになっているという情報がありますが、この場合バイクがカメラの動きを規定し、それとは違う規律で動くロケット花火を見ている状態となります。
ACE COMBATの場合は、プレイヤーの視点は自機と共に常に動き続けますが、他の機体は全て自機とは異なる規律によって動き続けています。
一方、マクロスFの映像の多くは、描かれる対象物とカメラの位置関係が固定的あるいは硬直的になっているケースが多いような印象を受けました。
懸念事項 §
実はマクロスFの特番を見てのけぞったのは、河森監督がメカのデザインをブロック玩具で行っていることでした。デザイン上の問題はここでは略して、懸念を感じたのは「手に持って立体物を見る」というセンスで映像を作っているとすれば、上記の条件を満たす映像のセンスは培われないかもしれない……という点でした。
ちなみに、この懸念が正しいとすると、実は「愛・おぼえていますか」の戦闘シーンは「愛は流れる」に負けるという主張の理由を説明できる可能性がでてきます。つまり、河森さんが監督に就任したことにより、対象物と異なるカメラの動きのダイナミックさが抑制されてしまったという可能性が考えられます。
もちろん、これらはあくまで可能性が考えられるというレベルの話であって、何ら根拠のある話ではありません。正しくないと思って読むのが正しい態度でしょう。
ACE COMBATの長所 §
そう考えると、実はACE COMBAT 6でCFA-44に乗ってADMMを撃っている方がよほど本来的な意味でのVF-1バルキリー感覚を味わえる可能性はあり得るし、マクロス云々という話を離れて単純に映像の官能性という点でACE COMBATシリーズが優越する可能性もあり得ます。
いずれにせよ、これは「空にはガードレールがない」という説明とは別の、ACE COMBATの魅力の説明になる可能性もあります。