「訂正・うなぎの宮川は移転しただけでした・そして下高井戸駅「魔の空白地帯」の謎」に関して、桜上水Confidentialさんよりメッセージを頂き、その中で地下道の場所に踏切があったという話を頂きました。そこで、完全に確定はできていませんが、この話題を書くことにします。
下高井戸駅の通り抜け地下道の謎です。
下高井戸駅地下道の謎 §
下高井戸駅には、京王線の下をくぐる地下道があります。駅の改札とは無関係に、通り抜け「だけ」ができる地下道です。
この地下道には以下のような謎があります。
- 京王線下高井戸駅西側にある踏切は通行量が多いが、ラッシュ時には長時間開かないことも多い。この開かずの踏切対策として地下道が造られたと考えると、あまりにも位置が不便 (開かずの踏切対策としてこの地下道を使ってくれ、という趣旨の掲示が行われていた時期もある。現在は橋上駅を通り抜ければ良いので、そのような掲示が見られない)
- 南側は入り口1つであるのに、北側は入り口が2つある。しかも、北東側の入り口は線路に平行の長い地下道を通って抜ける。この部分は、北西側の入り口から出て普通の道を歩いても大差ないので、あえて地下道を造る理由が見いだせない
- 開かずの踏切対策にしては、他の駅の対策と比較して、かなり古くから存在している
この問題は、1948年米軍撮影の航空写真でおおむね結論らしいものが見えてきました。使用した国土地理院の航空写真は以下の通りです。
- 整理番号: UM871 KT
- 撮影年月日: 1948年3月29日
- コース番号: C A
- 写真番号: 43番
航空写真で見てみる §
以下が問題の箇所です。
赤線は地下道。青線は現在の道、黄色線は1948年当時の道です。
地図との重ね合わせの精度はそれほど高くないので、参考のために引いた線はあくまで目安と思ってください。
ここから読み取れること §
この写真からは、京王線のホームの長さは今よりもずっと短く、地下道の南側入り口、北西側入り口のやや東側に、踏切が存在していたことが見て取れます。そして、踏切の北側では、すぐに道が東西に分岐していたことも読み取れます。
問題は、この道路の分岐点です。この分岐点はホームの延長に伴って、ホームの下に消えてしまうことになります。つまり、ホーム北側を東西に結ぶ道が、ホームの延長によって分断されてしまう形になるのです。
ですから、京王線のホーム延長工事を行うと、以下の2つの問題が生じることになります。
この問題に対するストレートな解決策を構想したとすれば、以下の2つの地下道を建設することになります。
- 踏切とほぼ同じ位置に南北を結ぶ地下道を建設する
- 北側ホーム下部に東西を結ぶ地下道を建設する
その際、2つの地下道の北西側の入り口を共用したとすると、3つの入り口がある地下道が造られることになります。
私有地から道路へ §
しかし、これは不便な解決策だったのでしょう。
航空写真では私有地に見える部分に、現在は道路が造られています。
まとめ §
最初に述べた3つの謎には以下のような解釈を付けることができます。
- 開かずの踏切対策にしては不便→消滅した別の踏切の代替用なので、開かずの踏切対策ではない
- 入り口が3つある→目的の違う2つの地下道が1つの入り口を共用しているから3つ
- かなり古くからある→ホーム延長工事から生じる不都合への対処として建設されたものだから、編成の延長が進んだ時期 (昭和30年前後?) に建設されている
とはいえ、裏付けが取れているわけではありませんので、あくまでそのような解釈があり得るというレベルの話です。
感想 §
下高井戸駅についての謎はおおむね解けてきた感があります。
大東急時代の玉電と京王の連絡線の位置も分かったし。(航空写真で確認・京王線と世田谷線(玉電)を接続していた下高井戸連絡線はここだ!)
あとは、鉄道ピクトリアル2003・7月臨時増刊号【特集】京王電鉄に掲載されている1937年当時の下高井戸駅の構内配線図に記載された「上り線にある引き込み線」あたりか。
2008/12/19追記 §
下高井戸在住の方より、以下のような情報を頂きました。出口が2つある理由として、私の推理は間違っていたようです。
当方は下高井戸に生まれ育って40数年の者です。
たまたまこのサイトに行き当たり、興味深く拝読いたしました。
当コンテンツにある地下道は長年利用していております。古地図などを駆使してのご推測には感服いたします。さてこの「なぞ」について当方の記憶を頼りにお答えをしたいと思い、勝手ながらメールさせていただきました。
まず北側に二つある出口ですが、30数年前までは北東側(新宿方)にしか、出口かありませんでした。ご推察の通り、駅前の西側の踏み切りは当時、高架橋でもなかったので、開かずの踏切であり、この地下道を通るしか方法がありませんでした。しかし北東側(新宿方)の出口は駅から100m以上離れていたて、遠廻りでとても不便なために現在ある2つ目の出口を新設したのです。なおご推察の通り、京王線ホーム延伸がその後なされて、現在のホーム新宿方横にある踏み切りはその際に東側に5mほど移動しています。そのために北東側の出口は現在、利用する人もあまり見かけなくなっています。
真相は実は単純ということでしょうか。