桜上水Confidentialさんが玉川上水にかかる橋で紹介している「最近開設された昭和毎日という毎日新聞関係のホームページに昭和30年代の地図のコーナー」の地図を見てみると、これまで見ていた地図とは違う情報がいろいろあって有益であることに気付きました。
気付いた点を以下にまとめます。
- なぜか玉川上水の橋だけ詳細 (神田川は詳しくない)
- 永泉寺橋と下高井戸橋が別であることの証拠が増えた
- 神田川と永福通りの交点の北東にある養魚場の名前が「武蔵野養魚場」と書かれている (過去に見た地図では「養魚場」としか書かれていなかった。名前が分かると調査が格段にスムーズになる)
- なぜか途中までしか描かれていない神田川支流(下高井戸八幡神社西部から分かれる支流)
- 描かれていない玉川上水下高井戸分水
- 向陽中北部に無いと結論したはずの流路!?
さて問題は最後の1つです。
玉川上水下高井戸分水向陽橋合流説 §
玉川上水下高井戸分水向陽橋合流説とは、便宜上私が付けた名前ではありますが、玉川上水下高井戸分水が向陽中学校の北部を流れて神田川に合流するという主張です。
この件については、「「玉川上水系に関わる用水路網の環境調査」の現物を見るも、玉川上水下高井戸分水向陽橋合流説の確証は得られず」にて否定的な結論を出していますが、結果は確定したものではありません。(無いという断言までは到達していない)
さて、玉川上水下高井戸分水であるか否かは度外視し、ここに水路があったかどうかのみを考えます。
実は、私が知る範囲でこの向陽中学校(できる前はそれに相当する土地)の北部に水路が描かれた地図を1つだけ知っていました。
戦後米軍が航空写真を元に作成した地図とされるものです。以下より閲覧できます。
この地図に関しては、間違いが散見されるので、ミスもあり得ると考えていました。特に航空写真では小水路とそうではない線の区別は曖昧です。
昭和毎日の地図が衝撃的だったのは、明らかに日本製の地図であるにも関わらず、向陽中学校北部に水路が描かれている点です。
何がどうなっているのか、今のところ考えがまとまりません。
描かれない水路問題 §
もう1つ。描かれていない水路に関しては、既に暗渠化されていた区間は描かれていないと言う仮説を思いつきました。これが事実であれば、いつ頃、どこから暗渠化されたのかを示している可能性があります。