ネタバレ注意ですが、今回は特に反転表示は使っていません。
注意 §
以下は戯れ言なので、本気で読んではいけません。
ヤマトの映画を振り返る §
ネタバレ防止に過去の映画は全てイマイチな部分があったという話をしようと思います。
ヤマトの映画は、無印、さらば、永遠に、
完結編35mm、完結編70mmとあるわけです。ちなみに、新たなる旅立ちはテレフューチャーなのでカウント外ですが、劇場でやったこともあるのでカウントに入れてあげると。
- 無印 重要なシーンほどよくカットされている単なる切り貼り
- さらば 古代は何を学んだのだ。命が最後の武器といいつつ恋人が死んだら命を捨てるのか?
- 新たなる旅立ち 死んだはずのスターシャの言葉が長くてくどい
- 永遠に 高速で走る列車相手にマシンガンを撃ってもそれほど戦果は大きくないのでは?
- 完結編 せっかく再起した沖田が死ぬ理由が分からない
無印は(極一部で)有名な「行こう、ひゅーん」があります。火星でのいろいろな台詞が抜かされている(極一部で)有名な展開です。「行こう、ひゅーん」と言えば(極一部で)有名な「あんまりだ」という再編集の1つです。ここは、古代と島がいろいろ疑い混乱しながらサーシャを調べに行く展開ですが、映画では何の疑問もなく命令通りということになります。
完結編は初見で最も好きなのは最初にヤマトは登場するシーンです。なんとアップではなく、ロングでしかも上下に煽られて航行しています。これこそ、生きて困難な任務についているヤマトの姿です。けして、イカロスに隠されていたりはしません。そして、船は動くものです。それは海が動くことと同義です。逆巻く波も子守歌です(それは違う)。たとえば、どうぶつ宝島でジムが船出するときに、とても大きな波の中に翻弄されながら船出するのと同じです。少なくとも、このカットは同じ地平にあります。
その後好きなのは、やはり古代が艦長を辞任した後で未練たらしく第一艦橋に入るところです。ここでピピーッ、こちら全天球レーダー室と小さく音声が入るところがいい。
そして、立場があやふやな古代の立場が沖田の一言で確定するところもいい。
もう1つ言えば、ヤマトのスイッチが入って無人で航行して戻るところもいい。
というわけで、完結編の好きなシーンは全て発進前と言うことになり、ディンギルとの戦いもハイパー放射ミサイルも実はどうでも良くなってしまいます。
ちなみに、関係性に着目すると「新たなる旅立ち」の新乗組員が消えて「永遠に」に出てこないのも気になります。本当なら戦功のあったヤマト旧乗組員ほど陸上勤務になり、新しい乗組員に入れ替わるはずではありませんか。
それを考えれば、復活編のいかに良いことか。ヤマトの乗組員はほとんど入れ替え。年長の真田はそれなりの地位で仕事をしていて、船には乗り組みません。
いや本当に、今回の映画はいちばん良いヤマト映画だと思います。
ヤマトとアオイホノオ §
映画を見る前に本屋でゲッサンの2010年1月号を買ったのですが、アオイホノオの話題は「怪獣が1体しか出てこないでヒーローも出てこない映画の是非」です。
そして私が思うことは「巨大ロボットが出てくる是非」です。
巨大ロボットもヒーローの一種とすれば、話としては全く同じです。
私は「怪獣が1体しか出てこないで変身ヒーローも正義怪獣も出てこない映画」が好きです。なぜなら、そういう映画は怪獣に向き合う人間の物語になるから。人間の物語なら感情移入できます。
ヤマトも同じことです。結局、ガンダムにせよ、マクロスにせよ、いくら偉そうに言ったところで最後はロボットの戦いになってしまい、人間が疎外されます。そういう意味で、ロボットの戦いでは最後の最後で必ず人間が疎外されます。ヤマトは最後まで道具であり続け、戦いは最後まで人間の意志によって遂行されます。
そういう意味で、巨大ロボットの有無は決定的な深い溝を作り出していると思います。つまり巨大ロボットがいないヤマトは少なくともスタートラインに立っているが、ガンダム、マクロスはスタートラインに立ってすらいないことです。
そういう意味で「ロボットアニメのXX」といった自称は、事実上「僕(ら)は馬鹿です」と言っているのと同じです。本来なら、目指すべきものはロボット抜きです。
(象徴的なのはヤマトの前に入った宣伝の中でアニメは銀魂だけだったこと。もちろん、銀魂はネタとして巨大ヒーローが出てくる場合があるだけで、そういうアニメではない)
その点で、まだしもガンダムは見るのは冨野監督自身、ロボットがくだらないことを良く分かっているからでしょう (ファーストガンダムの最終回でもロボット抜きの戦いになる)。その視点がおそらく欠けているマクロス世界にはもう興味がありません。劇場ではマクロスFの映画もやっていたようですが、まるで興味が沸きません。
逆に言えば、ヤマト世界は現実の地平に接続しています。そこにいる実際の演奏家ともつながっているし、「のだめカンタービレ」のような作品のある世界ともつながっています。しかし、「オタクの世界」にはつながっていないでしょう。これは「結婚して子供がいる者」と「結婚できずに独身でいる者」のための映画であり、「社会に出て一致協力して荒波に揉まれながら運命を切り開く者」のための映画であり、「結婚できないことを勝ち組だと錯覚した引きこもりニート」のための映画ではありません。
ヤマトでしか満たせない飢え §
言い換えれば、ヤマトでしか満たせない飢えというものは確かにあると思います。
ガンダムをいくら見ても満たせません。
ヤマト復活編を見るという行為は、強くそれを印象づけました。
この映画を一言で言えば §
この映画はヤマトIII的であると言えます。
もっといえば、デスラーとハイドロコスモジェン砲抜きのヤマトIIIと言っても良いでしょう。
- 乗り込んでいく目的は戦闘ではない。人類が生きるためである
- ヤマトが乗り込んでいく銀河中央部には既に最初から火種がある
- ヤマトは紛争に巻き込まれていく
- 敵の配下だがヤマトの味方になる (ラジェンドラ号のラム艦長→ゴルイ将軍)
- 美しい星だが攻撃を受ける (シャルバート星→アマール星)
- 手出しをせず、座視するが最後は攻撃する (ヤマトIIIでも、ダゴン艦隊にラジェンドラが攻撃されるところをヤマトは手を出せずに座視したのだ。これはアマールへの介入をずっと座視した行為に付合する)
- 古代はヤマトのトップである
- 新乗組員も登場し、活躍してくれる
- 敵が異次元に潜行して顔を見せる
つまり、とりあえず「悪い奴をやっつければ終わる」という単純な話ではありません。その点で、さらばや永遠にや完結編とは違います。ヤマト復活編の見所は、やはり古代の苦悩でしょう。アマールの戦いに手を出すか否かを彼は決断しなければなりません。実は戦闘シーンよりも、その戦う決断そのものが見所ではないかと思います。戦えば多くの部下の命も危険にさらし、地球すらも危うくなるかもしれません。しかし、目の前でアマール市民が殺されているのも事実です。戦闘シーンも良くできているし派手ですが、やはり真の見所は戦う決断にあるのでしょう。介入を決意する古代の苦悩こそが見所であり、答えもまた古代らしいと言えます。古代ならこういう答えを出すだろう、という意味でヤマト的です。
地球艦隊 §
ヤマトが独航艦であるという描写がそもそもおかしいわけです。
ヤマト2のヤマト奇襲に掛けろが良いのは、ほとんど唯一ヤマトが旗艦として味方艦を率いているからです。(しかし、最後に敵艦隊に単艦で乗り込んで撃ちまくる描写はどうかと思う)
それを考えれば、ヤマトの背後に地球艦隊があり、その背後に移民船団がいるこの描写は感涙ものです。ようやく、CGの力を得て本来あるべき描写に映像が到達したとも言えます。
小林誠さん §
大筋の方向性は「企画、原作、製作総指揮、監督 - 西崎義展」さんが決めていると思います。
しかし、細かい部分はおそらく「メカニックデザイン、副監督 - 小林誠」さんが関与した割合も大きいのではないかと思います。小林誠さんが凝ったという艦載機の発進部分などを見ると、ガンダムの人だと思っていた小林さんにも何かガンダムで満たしきれない何かがあって、それをヤマトで発散しているのではないか、という印象も受けました。
凄い空戦シーンも、おそらく小林さんの影響大ですね?
いずれにせよ、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。
結局ヤマトは何か §
父か?
兄か?
我が友か?
「ヤマトの10年の賦」という歌に、「ブラックホール」という言葉が出てきましたが、やっと本編に出てきた感じもありますね。
しかも、「着色、可視化」という台詞も聞こえるので、本来なら見えるものではないという発想もあるようです。
理想を言えば §
営業的な都合を考えないで言えば。
今回の映画を見るのはヤマトファンだけで良いと思います。
ただし、自称ファンは要りません。ヤマトの矛盾欠陥をあばきたてて、勝ち誇ったように「自分の賢さ」を誇るようなタイプは要りません (それは僕の愚かさを宣伝するようなものだし)。今更「さらばで幻滅した」というようなタイプも要りません。まず、ヤマトIIIをきっちり見てから話をしよう。戦闘シーンではなく、ドラマをきっちり見てから話をしよう。
こういうことを言うと本当にヤマトファンの範囲が狭くなりますが構いません。そもそも、最初からみんなハイジを見てヤマトなど見ておらず、クラスで孤立するタイプだったのですから。ブームになってもいい加減な語り、アンチの勝ち誇ったような叩きばかりでした。ですから、本当のヤマトファンは孤独にもノイズにも慣れているはずです。
結局、見るのは世間の荒波に乗り出す気概がある奴だけで良いと思います。
艦長から「どけ」と席を奪われようとも、機関長からスパナの使い方がなっていないとどやされようとも、それでも見に行こうという奴だけで良いと思います。
……でも儲からないと次の映画が作れないのだよなあ。そのためには、いっぱい客が入らないとまずいよなあ。