実は、はたと気付きました。
地球は2520の舞台になりません。
つまり以下のような状況です。
- 地球人がいて地球連邦があることは確認できるが、地球の詳細は実は描かれていない
- 地球が消えて無くなっていても、実は矛盾しない
- つまり、アマールの衛星(あるいは他の天体)が地球と呼ばれていて地球人の本拠になっていても構わない
つまり、復活編の最後でどっちに転んでもいいようにできていたわけです。
あれを地球と呼ぶのか……とアマールに衛星を見上げるシーンもそのための伏線というわけです。
と思ったのだけど…… §
やはり2520を少し見直すと、地球は残っているようにも思えますねえ。とすれば、復活編で地球が壊滅していたら、またパラレルワールドが増えていた可能性もあるのかな?
オマケ §
「というわけで、地球の未来の問題だけど」
「これはむずかしいね」
「なぜ?」
「いろいろと矛盾した解釈があり得る」
「たとえば?」
「生き残るべきはヤマトではない。地球だ!」
「そう言ってしまうと地球は滅亡できないね。ヤマトの敗北になってしまうから」
「でも、移民船団を引き連れて新天地を目指す映像も捨てがたい」
「ギャラクティカみたいだね」
「実際、そこが復活編の見所と言えるわけだし」
「移民船団を追い越して護衛艦隊の先頭に立つヤマト! やはり燃えるね!」
「でも、それは地球滅亡とワンセットの描写なんだよね」
「ヤマトIIIでも、ヤマトの任務は侵略者の撃退ではなく、第2の地球探しであり、やはり地球滅亡とワンセットだ」
「しかし、ヤマトIIIでも復活編でも最後の最後で阻止されてしまう」
「地球は滅びないのだね」
「ところが、ヤマトが終わった後にやっていた日本沈没(東京の場合)では、日本は沈没してしまう。そして、谷甲州が続きを書いてしまい、もはや日本人とは呼べない日本人が出てきてしまう」
「それもどう解釈するか難しいね」
「だから、難しいのだよ。本当に地球は滅びるべきだのだろうか?」
「うーむ」
「更に言えば、地球がしっかりとそこにあればこそ、反乱して飛び出す話もあり得る」
「しっかりしていなかったら、まず人類を守らないとならないからね」
「というわけで、これは難しい」
「もしかして」
「なんだ?」
「ヤマトは、生き延びる地球と滅亡する地球の境界線上にあるから魅力があると言えるのでは?」
「ははは、そうかもしれないね。とすれば、復活編に2つのエンディングがあることは、意図せずして正解かもしれないぞ」
「しかし、それこそが難しい解釈だね」
「難しいと思ったらシュレディンガーの猫でも可愛がってからまた来るといい」
「そうそう、猫相手に通信して酒を飲んで……」