今になってヤマトのネタを多く書く理由の1つとして、復活編があるわけですが。別の理由は当時のカセットテープのデジタル化作業にぼちぼち手を付けたことがあります。
当時のテープを聴くと分かることは、「上書きで残存した古い音声」が多いことです。テープは貴重品で上書きしながら使っていたものの、全てを使い切ることは少なく、残った部分は以前の音声が残るわけです。
そういう音声として、新八犬伝最終回がありました。
聞いてびっくり。
なんと8匹の犬が空を飛んでいくという話で、UFOに乗って犬の惑星で冒険するかもしれない、というナレーションで終わります。
大和がヤマトとして生き返る話があり得ると同時に、八犬士が宇宙で冒険するのも、リアリティとして受容される時代だったのだろうと思います。
だが後番組は §
とはいえ、八犬伝の後番組は柴田錬三郎の真田十勇士であり、ストイックで地味すぎたのかも。序盤は猿飛佐助ばかりで、しかも人民が困窮しているというような内容でやはり地味です。序盤だけ見て後は見なかったかも。
と、ここではたと気付きました。
つまり「真田佐助」という人物が平然と登場できる下地が、この時代には、やはりあったのかも。最終的にアニメでは真田志郎になってしまったとはいえ、何枚か持っていたヤマトのカードには真田佐助と書いてあったし、反乱するとも書いてあったと思います。
そもそも真田十勇士とは「臣下だった徳川家康が、主君だった豊臣家に反乱する」という話のはず。
とすれば、新八犬伝から真田十勇士に掛けての状況は、同時代のヤマトの時代的なバックグラウンドを知るために役立つことになります。
ならば、実は「今時の人形劇」としての「新三銃士」から「ヤマト復活編」を見ることもあながち間違いではないはず。
新三銃士のテーマとは §
新三銃士のテーマは、おそらく「女性関係の失敗」です。
そもそもバッキンガム公がネックレスを受け取るからダルタニアンが走る必要があるわけです。三銃士も結婚に失敗したアトスに女に汚いポルトス、興味がないといいながらコンスタンスと付き合い続けてダルタニアンの恋敵のような立場に立ったアラミス。更には人妻に惚れたダルタニアンもいいところがありません。ボナシューは女房を追いかけてタライの船でドーバーを渡るし。しかも、ミレディーに言いくるめられてしまうし。そもそも、リシュリューからして王女に横恋慕しているわけだし。
みんな女で失敗しています。
ではヤマト復活編はどうかといえば、ヤマトのパイロットは女医を追いかけてコスモパルサーで出てしまうし、古代君は雪と結婚したのに放り出して宇宙にいるとして娘から糾弾されてしまうし。頼りにしている副長は独身だし。
やはりバックグラウンドが共通していますね。
つまりだ §
「女をよりどりみどり自由に選べる作品なんてクソつまんねえぜ」「そんなの自分を賢いと思いこんだガキのお遊びだ」「本当のドラマは失敗から始まる」と思うなら、NHK人形劇かヤマトの世界に行けるというわけですね。実際には、女を選べるどころか1人の女ですら失敗するのが人生ということなのでしょう。たぶん。
オマケ §
「……という文章を書いて寝かせておいたらけっこう時間が経過してしまった」
「それで内容に変化があったの?」
「いいや。ダルタニアンはミレディーを騙すつもりでその気にさせちゃって大失敗」
「ははは」
「ボナシューもコンスタンスと分かれてもいいとか言い出すしね。こいつらどん底まで女性関係で失敗したいらしい」
「そんな人形劇なのに、なぜ見る?」
「そんな人形劇だからさ」
「さすが、一般の局よりえぐいことを放送してくれるETVだね」
「ちなみにETVのお隣さんはどこか分かるかい?」
「東京で言うと、ETVは3チャンネルで、となりと言えば……」
「ヤマトを放送した4チャンネルさ」
更にオマケ §
「実は、昨日見に行った映画NIGNね。これも女性関係で失敗する映画だった」
「ははは。間が良すぎだ。狙って見に行った?」
「いいや。どういう映画か全く知らなかった」
「しかし、やはり女性関係の失敗は世界共通なのかね?」
「それはそうだ。世界のどこに行っても男と女しかいない。まあ特殊な例外はあるけどな」
「オカマは最強よ!」
「ところで、1つ気付いた」
「なんだい?」
「この映画、時々死んだはずの母親が出てきて喋るのだ」
「ええ?」
「死んでからも長々と喋ったスターシャを思い出してしまったよ」
「スターシャが語りかけたのも娘だから、母親といえるしね」
「そういう意味で共通バックグラウンドがあるかもしれない」