GNO関係の話題を書くのはこれが最後になるかな。
GNOの記念マウスパッドが来ました。
トーノ・ゼロ大将と書いてありますよ。
禿げてますよ。
戦功大章4という数字が泣かせますね。獲得する苦労も並大抵ではありません。大半のプレイヤーは0で終わっているはずです。
一番面白かった時代を思い出させる品です。
とはいえ §
しかし、本当にバンナムが望んだとおりに自分が面白がっていたのかは疑問です。
実際に、GNOがいちばん面白かった時期は、GNO2開始後だという印象があります。大多数がGNO2に移行した後で、人数の減ったGNOにまだ固執して遊んでいたのが面白かったと思います。
だからちょっと工夫すると、めきめき順位が上がる(人数が少ないから)ような感動があり、かつ、ランキングで順位を競うことに意味があり(簡単に上位に行けるから)、更に中身が研究し尽くされた枯れたゲームであることも意味があったのだろうと思います。
更に言えば §
ゲームの遊び方を自分で見出していくことに面白さがあるわけです。たとえばクール終盤に参戦してパイロットをLv15にできるか、などゲームの限界を自分で開拓していくような遊びがありました。それに対して、GNO3になると遊び方までパッケージングされて、自由度が少なくなっているような気がします。
あと、明らかにガンダム大好きなオタクの子供達と真剣に勝った負けたと競うことにあまり意味を見出せないという気分もあるかな。決まり切ったルーチンをこなしていくだけなら、時間と体力が多い方が有利だけど、それは子供優位という話でしかないし。かといって、子供に負けたら勝った子供を尊敬できるかといえば、それは全く別の話だし。
結局のところ §
GNOの季節は既に過ぎ去ってしまったのかな。GNOが面白かった時代は確かにあるのだけど、それはもう過去の話になってしまったのかも。そんな感傷に浸ってしまうマウスパッドでした。
ちょっとだけ余談を言えば §
「GNOの場合、おおむね知っている兵器で戦ったと言える。ガッシャとかギガンとかそういうレベルになると知らなかったけど」
「うん。ザクレロとか、ジオングとか、知っていることが前提だった」
「昔、湯水のようにファーストガンダムの再放送が繰り返された頃に見たからね。覚える気がなくても、名前を覚えちゃったよ、グラブロとか。GNOには出てこないけど」
「そうだね」
「でもさ。ゼータ以降になるとほとんど再放送がないんだよ」
「あっても見てないしね」
「だからさ。GNOってのは基本的に、知ってるロボでファーストガンダムとは微妙に違う世界を遊ぶものだったわけだ」
「僕がアムロになる訳じゃない」
「ブライトにもならない」
「あくまで、僕は禿げ艦長なんだよね」
「そういう前提で考えていくと、GNO3ってのはかなり違うことになる」
「というと?」
「出てくるロボが、ほとんど分からない」
「そうか、ゼータ以降になると」
「キュベレイぐらいはまあ覚えてるけどさ。ドライセンとか言われても、何用のどういう機体かも良く分からない」
「うん。おいらも分からない」
「となると、お約束を知ることから始めねばならないが、そのための知識量は膨大だ。しかも、潰しが利かない情報だ。覚えても他の世界では何の役にも立たない」
「まあ、ゲームとかアニメの知識ってそういうものだよね」
「だからさ。ドラクエはずっとホイミだし、FFはケアルなんだよ。同じ魔法体系だから、覚えることはそれほど多くない」
「そうか。だから、GNOというのはガンダム世界のゲームとして作ることで、既にプレイヤーが知っている知識を活用して、覚えるべき知識量を抑えて成立していたわけだ」
「でも、GNO3になるとその前提が崩壊しちゃうのだ。おいらの場合はね」
「分かってきたぞ。つまり、世の中には2種類の人間がいるんだ。たまたま若くて柔らかい脳みそと膨大な時間と体力を持ってる時期にゼータ等を吸収した人間とそうではない人間なんだ」
「そうだ。前者はGNO3でも構わないのだろうが、後者は構う」
「今更に潰しの利かない知識を時間をかけて覚えたいとは思わないものね」
「だから、旧作の続編でもドラクエ9はいいんだ。ホイミで回復して、ベホイミでもっと回復できて、ベホマで全快するという昔の常識が通じるから、片手間の遊びとして成立する」
「でも、GNO3はGNO時代の常識ではもう遊べないね」
「うん。そもそも、1年戦争終わったあとで参加できる陣営が3つもあって、そこで止まっちゃう。そもそも、どの陣営に参加したらいいのかも良く分からないしね」
「ティターンズは悪者っぽいし、エウーゴは修正されちゃうし、ネオジオンは子供っぽいしね」
「そうだ。どれを選んでも食い足りないが、実はヒーローであるアムロはカラバに参加してそのどの組織にも来ない」
「なんか話が複雑だね」
「いや、そうでもないよ」
「というと?」
「1年戦争のあとの世界があるということは、1年戦争で決定的な決着を付けられないことを意味する。もうジャブローに攻め込んで落とせばおしまいという世界じゃない」
「というか、ジャブローを落とした経験はないが、サイド3に攻め込まれた経験ならけっこうあるくせに」
「それを言うな」
「ああ。分かったぞ。そういう決着が付けられないから、全体的に平板にならざるを得ないんだ」
「しかも、ZZの時代が終わったら逆シャアの時代が既にあるから、やはり大きな逸脱はできそうもないんだぜ」
「サイドストーリーも多そうだしね」
「まあ、ifの世界ですと言ってしまえば、どんな結末でもいいんだけどね。でも、もともと架空の話のifって何だ?」
「さあ」
「そういう意味で、実はifに意味はなくて、ゲーム的にいかに納得の行く結末が出せるかが焦点ではないかという気がする」
「ガンダム世界に詳しければその世界を追体験するゲームに意味があるかもしれないけど」
「詳しくない人は、ゲームとしての誠実さだけが問題となる」
「そうなってくると、少ない知識でバリエーション豊かな展開が得られるのがいいね」
「結局そこだよ。GNOの成功は、実はそこにあったのじゃないかな」
「確かにね。開戦直後なんてできることは本当に限られているのに、やり方次第で指揮ザクとザクIIを買い込んで第1週の作戦開始前に前線放置できたとは驚きだ」
「というわけでそろそろまとめに入ろう。つい最近、OSをゼロから入れ直したので、GNOが起動できる環境にはもういない。まあ、起動し直せば旧環境にも行ける状態はまだ維持されているが、ともかく常用環境にGNO3のアイコンはあってもGNOのアイコンはもう無い」
「あっても、もはやサービス止まってるから起動できないしね」
「マウスパッドが来たついでに、一部のGNO関係のメモ等のファイルも整理したし」
「それで?」
「GNOが終わった直後、GNOはアンインストールできなかった。なんかひょっこりサービスが再開しそうな気がしてね」
「でも、再開はあり得ない」
「今日になってやっと実感したよ。もう終わってるんだなって」