「『サクラ大戦V 〜さらば愛しき人よ〜 第8話 感想後半 終わりよければすべてよし』という文章を書いたが、ここでアニメと3DCGの関係に言及した」
「うん。でもそれとヤマトが何の関係があるの?」
「大ありだ」
「というと?」
「ここではアニメと3DCGの相性は致命的に悪く、両者を複合した作品に未来はあまり見えないかも知れない、という可能性に言及したわけだ」
「うん」
「そして、その先の方向性として、アニメが手描きに固執していく方向性と、3DCGが実写と融合していく方向性があることを示したわけだ」
「うん」
「そして、ヤマトも実写版が控えている」
「ええっ!?」
「つまりさ。1974年にヤマトが出てきたとき、これはアニメで描く必然性があったわけだ。でも、2010年の今、アニメがヤマトを描く唯一の手法とも言えなくなってきた」
「いやいや。ちょっと待ってくれよ。アニメの元祖であるヤマトがアニメを否定しちゃうのかい?」
「ヤマトはアニメである前にヤマトであるわけだ。長い伝統の末裔でもある。従って、アニメはヤマトによって選ばれた表現手法であって、本来のヤマトはアニメに対して中立の位置にいると思われるわけだ」
「ヤマトが中立であるとすると、どういう話になるんだい?」
「簡単だ。ヤマトはかつて特撮を否定した。ヒーローが巨大化して戦うことも、変身して戦うことも否定した。猿の軍団も確かに同じように否定したと言えるが、やはり絵的に地味だ。ならば同じようにヤマトがアニメを否定する方向に進んでも構わないじゃないか」
「うーん」
「実際に、思い当たる節もある」
「それはなんだい?」
「ハイパーウェポン2009はほとんどヤマトの本だが、最後に少し載っているのがギャラクティカだ」
「それで?」
「ハイパーウェポン2009の主役である小林副監督はギャラクティカのファンでもあり、映像センスがアニメの枠を超えて実写ドラマの3DCGであっても構わないところまで行っている」
「つまり?」
「3DCGのヤマトがアニメの海を飛び去って、実写の海に飛んでいっても、それでいいじゃないか、というセンスがありそうな気がする」
「それで?」
「そもそもヤマトファンだった私が、Poserをバージョン1から買っているとか、実はLightWaveも使ってるとか、そういう3D系映像の世界に行っているのも象徴的だと気付いた」
「えっ? アニメ側じゃなくて、3DCG側なの?」
「そうさ。映画トロンだって公開時に見ている3D側の人間だよ。PC-8001で最初に書いたまとまったプログラムはおそらく3D表示の迷路だ」
「ラムちゃんを画面に描いたのではないの?」
「そういうのはFM-8(1981年)以降のド新人のやることさ。PC-8001(1979年)の美少女なんてどういう水準か一度Emmyの現物を見せてやろうか?」
「いえ、結構……。ってか現物持ってるのか!」
「だからさ。当時のマイコンなんて、スタートレックのために買うものであって、女の子なんて誰も期待してないわけだ」
「EがエンタープライズでKがクリンゴン。宇宙船の形すらしていない」
「ロミュランが出てくる版はRで出てくるぞ」
「そういう時代のロマンは美少女ではなく3Dになるのかい?」
「そうさ。たとえワイヤーフレームでも奥行きのある空間を描ければ技術の驚異さ」
「今となっては分かりにくい、難しい問題だね」
「つまりさ。諸般の事情から1974年当時はアニメで描くしかなかったヤマトだけど、ヤマトを長い伝統の末裔とすれば特撮や小説も包含した大きな世界の一部であり、ヤマトのロマンの先にはアニメではなく実写と3DCGの広大な空間が待っていたのかも知れない」
「ええっ!?」
「だからさ。日本にヤマトあればアメリカにスターウォーズや未知との遭遇ありという1970年代後期のSF映画ブームを見ると分かる通り、ヤマトの敵はそもそもアニメではなかったわけだ。その後に出てきた多くのアニメはヤマトを敵として頑張ったけれど、ヤマト自身は彼らを敵としたわけではなかったのだ」
「それってどういうことだ?」
「艦尾損傷、シアンガス発生、レーダー動力ストップ!」
「やつらにはこのアニメでは勝てない」
「そんな!」
「だからさ。1990年代の企画である復活編まではアニメとして出てくるわけだけど、そこから先になると何が飛び出すか分からんぞ」
「まさか」
「我々は既にAfter FF7AC時代に住んでいることを忘れるなっ、てことだ」
「つまり、作ろうと思えば全部CGでやれるし、面白ければ売れると」
「今時の俳優は、凡庸なCGよりも魅力的だから出演するとも言える」
「つまり……」
「復活編の続きがあるとすれば、それはまだアニメかも知れない。キャラが変わると見る方も困るからね。でも、今から新規に企画を練ったときに、何が飛び出すかは分からない」
「つまり、それが実写版ヤマトということだね」
「そして、それは何ら特異な話ではないということだ。これから先、典型的に何回も出てくる話だろう。しかも、ヤマトの主要スタッフは既に世代代わりしていて、昔ながらのヤマトを継続する必然性も薄くなりつつある」
「それだけ?」
「いいや。実は、ファンもそれを受容してしまうのではないか、という気がする」
「なぜ? ファンはアニメの古代君に慣れているのではないの?」
「アニメ絵が絶対視されたとは思わないよ。その先に、生身の人間が見えていたような気がする。ヤマトの向こうには本物の宇宙船が見えていただろうしね。そもそも、アポロの月着陸からそれほど時間が経過していない時代だ。フィクションとノンフィクションは宇宙に関しては地続きだった時代さ」
「そうだね。ジュブナイル小説を読んで、今はフィクションでも1970年代にドーナッツ型の宇宙ステーションが本当に建設されると思っていたしね」
「実際は無理だったけどね」
「だから、国際宇宙ステーションISSに日本人がいる、という現状に即して未来を見通したヤマト像なら、それは受容されそうな気がする」
「そうか分かったぞ。だから、宇宙であり、特撮であり、3DCGもありなんだ」
「そうだ。アメリカのスタートレックやギャラクティカと同じ宇宙をヤマトは飛んでいるんだ。ボイジャーがヴィジャーになって帰ってくるような宇宙だね。あるいはアームストロングの通信が聞こえてくるような宇宙だ。ガ○ダムの宇宙世紀の宇宙ではない」
「ずいぶん大きな話だね」
「そうさ。ヤマトってのはそういうスケール感の大きな話なんだよ。本来はね」
オマケ §
「ということは、ヤマトはヤトになって帰ってくるわけだね」
「むしろその方が安心」
「ヤト安心宇宙旅行……」
「新八、お腹空いたあるよ。スコンブ食べたいあるよ」
「ダメだよ神楽ちゃん。お掃除ぐらいしなくちゃ。女の子でしょ?」
「あれ。こすったら下から1文字出てきたあるよ、マ?」
「ヤトだと思ってたけど、ヤマトって読めるね」
「分かったあるよ。中にヤマト糊が入ってるって意味ある」
「じゃあ開けてみるある」
「って禿げたおっさんが入ってましたよ。これのどこがヤマトなんですか?」
「誤診のお詫びに坊主にしたと言ってるあるよ」
「ヤブなんですね」
「薮じゃない。佐渡だと言ってるある」