「海派と山派という分類をしたとき、実はヤマトの企画はもともと山派ではなかったかという気がする」
「というと?」
「もともと西遊記が企画の起点にあり、岩の塊が宇宙を飛んでいく企画だった。ヤマトという戦艦もないし、美しい女性としてのスターシャもいない」
「うん」
「だから、岩なんだよ。孫悟空は岩から生まれた石猿だし、岩の塊に乗るとは、要するにきんとうんに乗るということなんだよ」
「なるほど」
「つまり、これが原点として捉えて良いと思う。原点はあくまで山派であり、目的地は天竺的な場所だ」
「うん」
「で、きんとうんに乗って飛んでいく」
「そうか。飛行するイメージだね」
「だが、途中から乙姫のような美女が待つ竜宮城的な場所に船で行く話に変わっていってしまう」
「そうだね。そこまで行くと明らかに海派だ」
「ならば誰がその決定的な改変を行ったのかが問題だ」
「岩の塊を大和に変えさせたのは松本先生?」
「岩の中身が長門みたいだといってね」
「そうか」
「しかも、目的地に女が必要とスターシャの設定を入れたのも松本先生ということになる」
「ええっ!?」
「つまりだな。松本先生は漫画化という目的で後からヤマトという作品に接したが深入りして、ヤマトそのものを山派の作品から海派の作品に修正してしまった可能性がある」
「でも、松本先生は山派だと言っていたじゃないか」
「そうだ。だから、松本先生は実際に海派の作品に作り替えるという意図はそれほど無かったかもしれない」
「というと?」
「岩の中身が長門みたいだから、大和にしようとか、それは個別の些細な発想だった。本質に関わる変更ではなかったはずだ。目的地に女がいるというのもね。でも、それは船に見え、乙姫に見えてしまうスタッフも出てきたのではないか」
「なるほど。そこは本質ではなかったわけだね」
「本質ではないが、意図しない多くのものを連れてきてしまったわけだ。大和となった瞬間に歓迎されざる多くの文化がつい来てしまう」
「なるほど。そこから問題が転げ落ちるように変なところに行ってしまうわけだね」
「そうだ。だから見ているこっちも、なまじ父親がウォーターラインシリーズを作っている光景を見ながら育っているし、製作資料の丸別冊の写真集に軍艦の解説なども載っているからそれを読んで、過剰な意味を込めて見てしまうわけだ」
「でも、それは過剰すぎたんだ」
「そうだ。本来はただ単に大和は大きくて強いという記号しか持っていないはずだったのだ。それ以上の意味を込めてはいけなかったのだ」
「でも、そういう意味を込めてしまった人が見るとすれば」
「シナリオも意味を込めすぎた中身ではないか、という気がする」
「つまり、松本先生は行き過ぎを戻しただけということになるわけね」
「うん。しかし、それは1つの解釈であって、そう思わない人もいるかもしれない。だから、実は松本ヤマトよりも復活編あたりの方が良いということにもなりかねない」
「それで君はどっち?」
「どちらも選べないよ、ヤマトはヤマトだ」