「たまには、ヤマトを起点に他の作品を解釈してみよう」
「というと?」
「実は、偶然に劇場版の千年女王が解釈できるようになったのだ」
「どう解釈できるんだい?」
「いいかい。この映画は宇宙からの侵略者に、零戦とP-38で戦いを挑む内容だ」
「うん」
「しかし、零戦は分かるとしても、なぜP-38なんだろう。いや、そういう意味では零戦も意味不明だ」
「そうだね」
「ここで宇宙からの侵略者の宇宙船は大型航空機という解釈を当てはめてみよう」
「うん」
「すると、小回りの利く小型戦闘機には弱いが大型航空機には強いという大型戦闘機の意味が出てくる」
「なるほど。それがP-38なんだね」
「更に戦闘機の護衛が必要だとなれば、ゼロ戦と一緒にでて行く意味もある」
「凄い解釈だね」
「更に、それが独自設定であれば複雑すぎる」
「そうか。だから実在機が飛び立つ必要があったわけだね」
「更に夜森は敵だから、アメリカ軍機に乗る意味がある」
「屠龍よりP-38ということだね」
ヤマトと千年女王 §
「千年女王は、船で旅立たないと思えばヤマトとはあまり似ていない」
「うん」
「でも、空間的な距離を度外視すると割と似ているかもしれない」
「というと?」
「謎の女王が侵略者の侵略秩序に逆らって人類に救いの手をさしのべてくれて、主人公が乗るメカが零戦だと思えば、似ているラインになる」
「なるほど。ヤマトは宇宙零戦つまりコスモゼロだね」
「だから、女王は助けてくれるのだけど、結果は自分で戦ってつかみ取らねばならない」
「そうか。女王は出てくるが、自力本願なんだ。どちらも」
「しかし、やはり空間的な距離は問題だね」
「だからさ。実はヤマトにとって14万8千光年という距離には意味がなかったんだよ」
「というと?」
「いいかい。もともともの企画は西遊記が下敷きだ。そして、西遊記は世界の果てまで行ったと思ったらお釈迦さまの手の中だという話だ」
「なるほど。空間的な距離に意味がない世界だね」
「ヤマトにおける14万8千光年とは実際は空間的な距離ではなく、困難さを数値化したものかもしれない」
「なるほど」
「だからさ。悪の帝国の仮面の指揮官になった父親を倒す困難さと意味合いは同じなんだよ」
「なるほど。某ベイダー卿だね」
「いや、さよなら銀河鉄道999の黒騎士」
「紛らわしいよ」
「だからさ。黒騎士は別に惑星大アンドロメダにいなくても話は成立するんだ。999が終点まで行ったらそこが惑星大アンドロメダだったということでしかない。って、ちょっとやばいな」
「なにが?」
「東海林音楽に乗って生物的な炎の中を走って大アンドロメダに向かう999が見えるようだ」
「おいおい」
「話を戻すと、要するに14万8千光年は距離というよりも試練の大きさなんだよ」
「なるほど」
「だから、大きい試練なら何にでも置き換えられるんだ」
「地球に危機とか?」
「実は登場人物の設定次第で、本人にとって大きい試練なら何であっても構わないわけだ」
「それが、大好きな女性の先生が千年女王で、しかも最後に死んじゃうと言う試練であってもいいわけだね」
「うん。窓ふきバイトの少年なら、エリート教育を受けたであろう特別訓練生の古代にとっての14万8千光年に匹敵する大きな試練だろう」
「そうなってくると、実際は地球の危機ですら必要がないことになるね」
「うんそうだ」
「だから、映画館では地球の危機というスケールの大きな話と、あの人は僕を好きになってくれるだろうかという恋愛映画が並んで上映できる」
「そういう意味で、映画は何でもありだね」
「いや、そうじゃない。物理的な大きさが問題になってないだけだ」
「えっ?」
「映画としての出来の善し悪しは存在するし、映画に向いた題材と向いていない題材もある。が、サイズやスケールでは決まらないということだ。だから地球の運命ととある一家の運命は等価なんだ」
「そうか。だから、映画の世界大戦争は、とある一家の運命として世界の運命を描いてしまうわけだね」
「だからさ、たとえばヤマトよ永遠にという映画は地球の命運という切り口で見ると実はあまり面白くない。ヤマトの波動エネルギーに弱い敵なので、実はほとんど問題なく勝っていく。あまり緊張感がない」
「結局敵は、地球のふりをして騙そうとするしね」
「しかし、惚れた女と所属組織の板挟みというアルフォンの苦悩を見ていると面白くなる」