「やっと分かってきたぞ」
「というと?」
「ヤマトには西崎対松本という不毛な対立があった」
「うん」
「しかし、その上位構造があるのではないか、という気がしていた」
「海派対山派だね」
「でも、それは必ずしも正しくないことを証明してしまった」
「じゃあ、何が上位構造なんだい?」
「映画界と出版界は水と油ぐらい異質で異なる、という話を前にしたけどさ。それで上手く説明できることに気づいた」
「おっと」
「しかも、同じロジックで、なぜ押井守と高橋留美子は仲が悪いかや、なぜ宮崎駿は原作無視と言われるほどに原作を変えてしまうのかも見えてきた」
「まさかそこまで?」
「うん、そこまで行くのだ」
「もっと説明してくれよ」
「まず、映画界と出版界の違いを考えてみよう」
「どう違うんだい?」
「映画というのは基本的にチーム戦なんだ。監督がいてプロデューサがいて多くの専門スタッフがいる。協力して分業しないと映画はできあがらない」
「うん。それはそうだ」
「しかも、映画は客にすら役割が割り当てられていると言える」
「見るという役割だね」
「この場合、見ることも、そのために金を払うことも、実は映画界という独特のシステムを支える一種の共犯関係になるんだ」
「そこまで行くの?」
「うん、おそらく行ってしまう」
「じゃあ、出版界はどうなの?」
「出版はフラットな構造の個人戦の世界なんだろう」
「個人戦?」
「もちろん、集団はあるし、分業もある。しかし、出版予備軍としてのコミケを見ると良く分かるけど、どの参加者も与えられる卓は同じなんだ。それが膨大な数、ずらりと並ぶ」
「そうか。あの光景は確かにフラットだ」
「違いは客の行列の長さにしかなく、そのために行列の並びやすい場所に人気サークルが配置されることもあるが、卓は基本的に同じなんだ」
「そうか」
「そして目指すものも大きく違う」
「というと?」
「映画の世界は、自分たちの作った映画をみんなが見て何かを思ってくれることを期待している。しかし、出版システムが目指すのは結局コレクションになるんだ」
「えっ?」
「だからコミケでも自分で売りながら同時に買いに回ることが珍しくない」
「そうか。映画界の大物が取材されても、別に膨大な映画のコレクションがバックに写るわけではないが……」
「出版界の大物なら、きっと背景に膨大な本の詰まった本棚が見える」
「水と油のように価値観が違うね」
「だからさ。基本的に映画を作る会社の西崎先生は、基本的に出版側の松本先生と水と油というぐらいに相性が悪い。同じように、もともと熱烈な映画少年だった押井守は漫画家と相性が悪い。宮崎駿は、原作の大幅な改変なしには映画を作れない。水と油ほども違って、そのままでは映画にならないからだ」