「復活編での古代の後継者は上条了」
「うん」
「というわけで、その連想で上條恒彦をかたろう」
「は? 何の意味があるの?」
「意味なんてない……はずだった」
「はずだった? 分かりにくいね」
「実は検索一発で、おいらと上條恒彦に、遠い地球に忘れたはずの意外なつながりを発見」
- スペース1999のテーマ(1977年、「スペース1999」主題歌)
「わははは。日本語放映版のみに含まれていた幻の主題歌だね」
「LDにも、最初のDVDボックスにも入ってなかった。2番目のDVDボックスには入っていたらしいが、そこまでは買ってない」
「OPはこの歌のインストが入っていたんだよね」
「あとから日本で付けた割に絵と合っていて、凄く自然だった。絵はオリジナルと変わってないのに」
「それだけ作品愛があったわけだね」
「愛と憎しみ、戦いの思い出が残るぜ。さて本題に入ろう」
「本題なんてあるんかい」
「上條恒彦の『お母さんの写真』というアルバムがある」
「宮崎駿プロデュースってやつだね」
「この中にある『ひとつ やくそく』という歌があるが、これは親より先に死んではいかん、という内容だ」
「何それ?」
「命は個人の所有物で好きにしていいと思っている自殺肯定者には理解できないだろう」
「実際の命は、他人から生かされているのであって、個人の裁量だけで終わらせることはできないってことだよね」
「それもあるが、子供が死んだときの親の悲しみも深い。なんか前にも書いた気がするけどな」
「うん」
「その点で考えると、古代はまだ幸せだ」
「親が死んでも古代兄弟は生き残ったわけだからね」
「土門も親が先に死んでいる」
「太陽観光船だっけ?」
「しかし沖田は不幸だ」
「親より先に子供が死んでいるわけだね」
「そういう風に考えてみるとだな。島も親より先に死んでいるかもしれない」
「そうだね。まだ若いのにディンギル戦役で戦死」
「他に若くして死んだ宇宙戦士は多い」
「そうだね」
「その多くは親が存命だろう」
「親より先に死んでしまったわけだね」
「ここで1つの分水嶺があるような気がする」
「というと?」
「親より子が先にぽろぽろ死んでしまう世界観と、死んではいかんという世界観だ」
「ええっ?」
「だから、宮崎駿は死んではいかんというが、ヤマトはぽろぽろ死ぬわけだ。しかも、名もない宇宙戦士がぽろぽろ爆発で吹っ飛ばされて死ぬ。待ってくれといっても扉は待たない」
「それって、宮崎駿は人道的で正しく、ヤマトは非人道的だってことなの?」
「そうだ……と最初は思ったが、違うと気づいた」
「というと?」
「医療が発達する前、戦いとは関係なく、子供が親より先に死んでしまうことは珍しくなかった」
「戦死じゃないのね」
「戦争が無くて戦いが無くても死んでしまう子供は珍しくも無かった。親が悲しもうが知ったことではなく、子供はぽろぽろ死んだ。だから、子供をたくさん作って大家族を構成しても自然なことだった。死んでしまう以上、保険は多い方がいい」
「なるほど」
「切腹という処罰もそういう世界観ではけして奇異ではない。人の命は安いんだ。むしろ別の人材にチャンスを与えるという、機会解放の契機かもしれないよ」
「家族は多いのに、兄ちゃんだけお城で働けていいな、という次男にもチャンスということだね」
「逆に言えば、腹を切って責任を一身に背負うから次男にチャンスをまわせるとも言える」
「なるほど」
「ここで少子化が進む前と進んだ後では、価値観の決定的な違いが生じる」
「子供の値打ちが違うってことだね」
「親から見た子供への思い入れもな」
「人数が多いと思い入れも分散してしまうね」
「思い入れの深さが同じでも、1人1人に費やせる時間は減ってしまうのだ」
「確かに」
「その代わりに発達するのが、兄弟愛だ」
「親が注げない愛情を兄が代わりに弟に注ぐわけだね」
「だから、宮崎駿なら、父さんはラピュタを見たんだ、という話になる。でもヤマトは、兄さんがイスカンダルで生きていた、という話になるわけだ」
「世代が違うわけだね」
「うん、子供が少ないと親子の情が軸になるが、子供が多くてぽろぽろ死ぬ世界観だと兄弟が軸になるんだ」
「そうか。だからむしろ、親を失った古代と子供を失った沖田は相性がいいはずなのに、古代は沖田の部屋になかなか行かないで雪に捕獲されて通信室に放り込まれてしまうのだね」
「通信する相手もいないのにね」