「たいへんだ。実写版ヤマトにベータ星が出てこないって? ベータはなくなるの?」
「ヤマトに出てくるのはもともとアルファ星じゃ。と思ったがIIIでアリゾナの残骸が発見されるたのはスカラゲック海峡星団ベータ星ということらしい」
「ヤマトはVHS星団に派遣されたから無事だったんだね」
「そんな星団は出てこない」
「VHD星団に派遣されていたらすぐ沈んでいたところだね」
「ネタが凄く難しいぞ」
「で、このタイトルはどうなんだい? ヤマトはなくならないという新聞広告でも出たのかい?」
「そんなSONYみたいな広告は出ていない。ヤマトの腕時計の宣伝は新聞で見かけたけどね。でも付いてるヤマトの絵に東北新社のコピーライト表記が付いているのはご愛敬」
「じゃ、どういう話なの?」
「J9って知ってるかい? という話でも無いし、ベータプロの話でも、ましてベータプロmk2の話でも無い」
「じゃあ、どんな話なの?」
「とてもリアルタイムの今時の話さ」
「詳しく教えてよ」
本題 §
「以下は、とあるサイトで見た文章だ」
これで「宇宙戦艦ヤマト」シリーズはおそらく永遠に制作されることはないでしょう。
謹んでお悔やみ申し上げます。
「素直に読めそうでいて、何かちょっと引っかかるな」
「うん。どこで引っかかるのかな?」
「はて、どこだろう」
「では、この文章の意図を解体してみよう」
- 西崎さんは死んだ→ヤマトは永遠に製作されないだろう
「そうだね」
「では、この意図を逆から読んでみよう」
- ヤマトを作りたいのは西崎さんだけである→死んだらもう誰も作らない
「あ、そうか。分かったぞ」
「何が分かったんだ?」
「『 ヤマトを作りたいのは西崎さんだけである』という前提が間違っているんだ」
「どう間違っているの?」
「実写版のヤマトは、西崎さんの企画ではないんだよ。WikiPediaより引用」
往年のアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を実写化するという企画・構想案をTBSが立案。約5年かけてセディックインターナショナルと株式会社エナジオの西崎彰司(原作となる74年のテレビアニメの原作者・西崎義展の養子)の協力の下、西崎義展の許可を得て2009年10月3日に正式に製作発表された。
「だからさ。現在僕らが最も注目している実写版ヤマトに関して言えば、西崎さんは許可しかしてないわけだ。で、ヤマトの権利者が誰になろうとも、許可するだけなら何ら強烈な個性は必要がないわけだ。いやむしろ強烈な個性を発揮しない人に権利が相続されたら、もっと許可は出やすくなる可能性すらあり得るぞ」
「たとえば?」
「むかし、庵野秀明監督がヤマトを作ろうとして岡田さんと一緒に西崎さんに話を聞きに行ったら要求が厳しすぎて断念したって話をどこかで読んような気がするぞ」
「なるほど。ならば、庵野版ヤマトも可能性としてはあり得るわけだね」
「うん。単に可能性を取りざたするだけならあり得るだろう。本人の意向や権利者の意向も関係するが、本当に実現するかという前提を取っ払って、単なる可能性だけ考えればありだろう」
問題はどこにあるのか §
「この問題は逆から読むともっと分かりやすいかもしれない」
「というと?」
「では、この人にとってのヤマトとは何だろう?」
「何だろうね? 好きではなさそうだし、知識も十分ではなさそうだ」
「むしろ、ヤマトの存在が苦痛であり、無くなって欲しいようにも読めるね」
「ああ、そうそう。ぜんぜん、好意的な印象を感じられないよ。表面的にとりつくろっているだけで」
「どのへんが?」
「永遠に制作されることはないって、『永遠に』という言葉が頭に付くなんて尋常は表現じゃない。ヤマトやりたい人はけっこうあちこちにいるのに、そこまで否定的に捉えるのはかなり異常だ。しかも、『永遠に』はどう考えてもヤマトファン的には肯定的な言葉だぞ」
「でもさ。それが『ヤマト禁止法』が施行されたあとの平均的なマニアの発想だろう」
「というと?」
「ヤマトは滅ぼすべき悪癖として排斥されねばならない。なぜならヤマトは潜在的に今時のオタク趣味の正当性を揺るがしてしまう潜在的なリスク要因だからだ」
「つまり、法律で禁止したいわけだね」
「したいという願望ではなく、慣習法というルールでは実際に縛られていたのだろう。ヤマトを語るとバカにされるから語れない空気は実際に作られていたと思うよ」
「根が深そうだね」
「西崎さんの訃報というニュースで噴出するのは、実は西崎派松本派の対立よりも、アンチヤマトの意図せざる表明かも知れないよ」
オマケ §
「ちなみに、この文章も以下の構造にジャストミートするぞ」
- 自分がヤマトの理解者であるとアピールする
- 違和感の表明
- 微妙に関係ないことを語る
「というと?」
「こういうことさ」
- お悔やみを述べて自分がヤマトの理解者であるとアピールする
- しかし、しょせん西崎個人の我が儘でしかないと矮小化する
- そのあと「謹んでお悔やみ申し上げます」とヤマトとは関係ない話で締める
「ははは。確かにそうかもしれないな」
「これが、アンチヤマトの意図せざる表明の典型例と言えるかも知れない」
「それで君はどうするの?」
「別にどうもしない」
「どうして?」
「言ってどうにかなる話でも無いだろうしね」
「そうか、言ってもダメか」
「本人に自覚はおそらく無いよ。のれんに腕押し。無駄の極みだ」
「一生懸命、懇切丁寧に説明したら説得できるんじゃないか?」
「そういう努力はたいて無駄に終わる。個人は説得できても層は説得できない。個人も層に帰属している限り、層の解釈にすぐ戻ってしまう」
「そうか(←ダジャレ)」
もう1つの病理 §
「もう1つさ。実は実写蔑視という思想もあるかもしれない。実写なんてダメなイロモノに決まっていると思っているから意識の外にある」
「ええっ!?」
「軽シンOVAの実写パートが違和感バリバリで、月曜ドラマランドがイロモノだったという時代の思想が続いているのかも知れない」
「それはかなり古いよ」
「今時の映画の感覚からすれば確かに古いかもしれない。でも、それはオタクの典型的な病理の1つだよ。何ら珍しくない」
「実写蔑視ねえ」
「ちなみに、ここで1つの間違いやすい問題があるので注意が必要だ」
「というと?」
「オタク=2次元が好きという構造は実は間違っている。急速に3次元のCG画像がオタクの世界にも浸食してきている。アイマスとかラブプラスとかね」
「そうか。意外と違和感なく3次元も浸透しているわけだね」
「でもさ。本物の生きている女性が浸透している訳ではない」
「ええっ?」
「声優とかメイドとか、そういう記号を媒介しなければ受容できない」
「なるほど。根が深い病理だね。というかまだるっこしいよ」
「実のところ、3DCGですら受容するまでに時間か掛かっていてまだるっこしかったよ」
「一応、Poserはバージョン1からのユーザーだったよね」
「初期はあまり実用性が無くて本格的に使ったのはかなりあとだけどね。あと一応LigjtWave使いでもあるよ」
「アイマスとかラブプラスとか言ってるけど、買ったの? プレイした?」
「買ってない。プレイしてない。というか、魅力を感じられない」
「ははは」
「あ、厳密にいうと違うな」
「どこが?」
「ACE COMBAT 6のアイマスペイント機は1機ぐらい買った気がする。バスクリンとも言われるカラースモークのミサイルを撃って納得したけど、それっきりだな」
「面白くなかった?」
「だってさ。ACE COMBAT 6で飛んでいる時に見る必要があるのは敵なんだぜ。敵を見てそれを攻撃しないとミッションがクリア出来ない。自機なんて見てないさ」
「自機にどんなに素敵で派手なペイントがあってもそれをプレイ中は見てないってことだね」
「それどころか、自機が邪魔になるから自機が見える後方視点より、自機が画面内にいないHUD視点の方が見やすいぐらいだ」
「ははは」
「しかも、たとえ見えても自機なんて暢気に見てたらSAMに落とされて終わっちゃう」
「ははは」
「だから、凝りすぎた機体のペイントも無駄の極み」
「リプレイで見るのじゃないの?」
「それもカメラの角度による。良い角度良い距離で常に追ってくれる訳じゃないしね」
「リプレイのカメラは自機を追ってくれないの?」
「追ってくれるが、戦闘機をかっこよく見せるカメラが、戦闘機上のペイントを常に見やすく見せてくれる訳ではない」
「そうか、ペイントを見せることは本来の目的ではないものね」
「この問題は、むしろ、戦闘機をキャラとして見せるか、ペイントされた絵をキャラとして見せるかの問題になる。主役はどっちかということだ」
「戦闘機こそ主役キャラだと思うと、ペイントされた絵はさほど重要ではないわけだね」
「むしろ、戦闘機を格好良く見せるシルエットはペイントが見えなくなることと同義だ」
「ははは」
「この問題はヤマトにも直結する」
「というと?」
「ガ○ダムはア○ロの分身だ。変身した姿だ。実質的にイコールだ」
「属人的というわけだね」
「でもヤマトは古代とイコールではない。古代以外にも多くの乗組員が居る」
「うん」
「ならば、ヤマトはキャラとしてどの乗組員とも違う存在になる」
「そうか。それが勝手にスイッチが入って自動帰還するヤマトだね」
「乗組員が全員倒れていても生還できる。ヤマトはまだ倒れていなかったからだ」
「それがヤマトが最後の登場人物そのものだってことだね」
「逆に言うと、ヤマトがキャラとして動けるのは、全員が倒れた後になる。それ以外は背景に徹する。主役はあくまで古代だから、ヤマトは古代が倒れたあとで初めて自己主張できる」