「3回目に見た感想なんだけどさ」
「うん」
「木村拓哉の演技がすげえ、と思った」
「どのあたりが?」
「カプセルが落ちてきたとき、ヘルメットを失うのだが、その時に致死量の放射能を浴びちゃったよ、やべえよ、ということを一切台詞で言わない。大慌てで自分の顔を触って焦りまくるだけだ。つまり、台詞の説明に頼らないで、行動だけで状況を分からせてしまう」
「そうか」
「しかも、その後で沖田に怒鳴り込むところは、あまっちょろい軟弱なダメ野郎そのものに見える」
「そこは演出意図を分かった上での演技ができているわけだね」
「好感を持って貰える演技じゃない。むしろ、なんだあの野郎と思われてしまうけど、古代というのは当初沖田不信のキャラだからあれでいいんだよ」
「そうだね」
「あとさ。実は好きなのが斎藤を失神させたあと、酒を飲んでいるシーンで、凄く解放された感じが出ていること」
「他のシーンと木村拓哉のノリが違うね」
「だからさ。木村拓哉自身が複数の演技モードを持っていて、使い分けられるということなんだよ」
「古代が木村拓哉にしか見えない木村拓哉らしさって何だろうね?」
「意識的に選択可能なモードの中の1つのモードでしかないのかもしれない」
「なるほど」
「あとさ。実は最初に波動砲を撃つとき、トリガを掴む前に手を動かすんだ。相撲取りが勝ってご祝儀を受け取る時にやるように手を動かすんだ。あれを何というのか知らないが」
「どういう意味? 木村拓哉は相撲じゃなくて剣道だろ?」
「相撲というのは元々一種の宗教儀式であり、異星人の武器を使うことも一種の宗教儀式だったからだろう」
「波動砲に対する畏敬ということだね」
「最初の1回だけなんだ。2回目からはそれ無しで撃てるようになる」
「波動砲を乗り越えるためにそれが1回だけ必要だったということだね」
「失敗すれば死ぬだけだと沖田に言われてプレッシャーもあったろうしね」
「ところで、相撲と言えば、WikiPedaにこんなことが書いてあったぞ」
- 元大相撲力士の木村拓也については「朝拓也太郎」をご覧ください
「これ別人。他人。非同一人物」
(2011/01/02追記:4回目の鑑賞でこれは違うかも知れないと思った。単にためらって手が左右にぶれただけかもしれない)
3回見る価値 §
「この波動砲のトリガを持つときの手の動きとか、やはり3回目だからそこまで認識できるのだと思うよ」
「そうか」
「そういう意味で3回見ても足りないぐらいの中身があると思うよ」
「そんなもの?」
「森雪を助けるためにコスモゼロから出る腕も、最初の上映の時は短すぎて認識できなかった。見えるようになったのは知識を得た後の2回目からだ」
「まあ、ある意味でそこまで見る必要は無いというのも1つの真実だろうが、そこまで見てしまうと別の表情を映画が見せてくれるのもまた真実だろうな」