「すげえことに気付いた」
「なに?」
「SPACE BATTLESHIP ヤマト、沖田艦のブリッジの地球でのシーンが凄すぎる」
「どういうこと?」
「たった1シーンなのに、主要キャラ全員の顔見せと関係の説明が終わっている」
「ええっ?」
- 古代進が沖田を恨んでいること
- 古代進が古代守の弟であること
- 古代進は森雪を知っている
- 森雪は古代を糾弾している
- 真田は古代進を知っている
- 真田は通信カプセルを分析する知恵袋である
- 斎藤は古代進を逮捕する立場である
- 佐渡は沖田に謝る
- 沖田は佐渡を分かっている
- 佐渡は古代進に甘い
- 沖田は古代進の糾弾を相手にしない
- 古代進は致死量の放射能を浴びている
- しかし古代進は死んでいない
- 通信カプセルには座標と設計図
「これが全てこのシーンで説明されている。けして長いわけではない。全て沖田艦のブリッジという1つのセットで話が終わっている」
「沖田、古代進、真田、斎藤、森雪という主要登場人物が全て揃うね」
「揃うどころではない。彼らの人間関係まで全て丸わかりだ」
「確かに古代は森雪を知っているが、沖田は知らないということも良く分かるね」
「このシーンは、実はアニメに直接対応するシーンが存在しない。アニメでは沖田艦のブリッジには沖田と無名のスタッフしかいない。古代と島は沖田艦に収容されるものの、ブリッジに来ているという描写は存在しない。森雪、佐渡、真田は沖田艦に乗ってすらいない」
「うん」
「その点をもってヤマトではないと言うのは簡単だが、実はこのシーンのおかげでもの凄く状況説明の時間が節約されている」
「なるほど」
「だから、アニメにあった病院も無いし、5つめの仏様も無い。真田が万能工作機械を自慢するシーンもない」
「無断出撃もないね」
「古代が沖田に直接怒鳴ることで、無断出撃のシーケンスの一切をカットすることに成功している。古代の怒りの矛先は、実はガミラスではなく最後の肉親の死にあるからだ。これは古代進が沖田艦に収容されて同じ船に乗っているからできることだ」
「そうだね」
「だから、ここは『ヤマトじゃない』と怒るべきところじゃない。凄すぎる中身に舌を巻くべきシーンだ」
「そうか」
「起承転結でいうと、ここはおそらく『承』にあたる。『承』の部分の役割は説明であり、説明の方法はいくら変化しても構わない。『転結』を理解するための情報さえ提供できればいいからだ。そういう意味で実は『転』は変えられないが『承』は変えられる。だから『転』の部分は、ドリルミサイルの激突やドメル艦の自爆など、表面的には違っていても基本線は原作に忠実に進む。しかし、『承』は違う」
「そうか。起承転結か」
「実は意外と起承転結は理解されていないぞ」
「そうなの?」
「起承転結は1つの型でしかない。序破急とか、他の型もある」
「へぇ」
「しかも、起承転結は面白さを保証するわけではない」
「ははは」
「って、今気付いた」
「なに?」
「新しいエヴァンゲリオンは、序破Qであり、Qが急とすれば序破急なんだ」
「へぇ」
「まあ、見てないけどな。ぜんぜん」
「ははは。それは自慢することじゃない」
「まあな。でもヤマトじゃないのでいいや」
「話を戻そう」
「うん。実はSPACE BATTLESHIP ヤマトは起承転結が少し混濁している。まあ、綺麗でなくても面白ければいいわけだけどな」
「そうなの?」
「そうだ。起承転結の型にあまり忠実だと客には先が読めてしまい、あまり面白くないので、型を崩すことは意味がある。先が読めなくなるからだ。そういう論もある」
「なるほど」
「そういう意味で、『決』から更に『転』するような方向に進み、別の『決』に来るような凝った構成の結末とも言える。こういう構成を論じるだけで実はご飯が何杯でも行ける。ただし、このへんまで来るとシナリオ書きの世界に片足を突っ込んでいないと話ができない可能性がある」
「しったかぶりのマニアでは対応できなくなる領域ってことだね」
「そうだ。でもまあ、それなりに地道な努力があるなら何者であろうと分かる可能性はあるのだけどね。マニアだろうと何だろうと」
「じゃあ君はどうなのさ」
「シナリオ書きの世界に片足というか、小指の先ぐらい突っ込んでいるからね。もちろん職業的な意味で。その点では実はマニアとは違う」
「プロのシナリオライターなの?」
「そうではない。そこまでは行っていない」
「もっと具体的に説明してよ」
「内緒だ」
「そんなことを言わないでさあ」
「ひ・み・つ」
オマケ §
「この物語の構成論は物語が始まって終わることが暗黙の前提になっている」
「終わりがあるってことだね」
「ゴールに向けて全てが展開される」
「無限にだらだら続かないってことだね」
「少年ジャンプみたいに、アンケートが良ければ終われないという世界もあるが、映画は終わる。永遠に座席に客を座らせておくわけには行かないからだ」
「3部作とかあるじゃん」
「それでも1部1部を単体で見て分かることに意味がある」
「そんなもの?」
「たとえば電王のトリロジーって、3本セットの企画だけど、中身は1本1本が全て独立している」
「で、その話が何の意味を持つの?」
「ただでさえ登場人物の多い群像劇の世界では、この制約は厳しく利いてくる。それを上手くさばくのはとても難しい。そういう視点から論じていかないとSPACE BATTLESHIP ヤマトは見えてこないのだろう、と思う」
「人気があるという理由で放送が延長できちゃうテレビの感覚では語れないってことだね」