「ストック原稿の順番を入れ替えてこの原稿を先に出すことにした」
「どうして?」
「終わりがテーマだから、SPACE BATTLESHIP ヤマトがTOHOシネマズで上映終了になった直後に相応しい話題だろう」
「中身はSPACE BATTLESHIP ヤマトじゃなくて70mm版完結編だけどね」
「でも終わりは終わりだ」
「いわゆる終わる終わる詐欺って奴だね」
「自ら墓穴を掘る、と言ってくれ」
「わはは」
「以下はかなりいい加減に印象を書き飛ばしてるだけだから信じるなよ」
「いつもそうだけどね」
「資料的価値は0だから勘違いするなよ」
ヤマトは永遠に続かない §
「ヤマトは永遠にだらだら続くものではない、と思う」
「終わる終わる詐欺というのもあるという話だが」
「ヤマトは少なくとも完結編の70mm版で終わっている」
「でも、2520や復活編があるじゃないか」
「うん。そこが誤認の根源だ」
「えっ?」
「今の我々は、過去から未来へと続くヤマトの歴史を全て知っているから、ヤマトは『終わる終わる詐欺』だと言ってしまえるが、その場その場の認識は違うかもしれない」
「どういうこと?」
「よく考えてくれ。復活編という呼称だが、死者だから復活できるのだ。生きていたら復活はできない」
意志の問題 §
「おそらく、ヤマトを終わらせる意志は、少なくとも以下のタイミングで存在した」
- TVシリーズ終了時
- さらば宇宙戦艦ヤマト企画時
- 70mm版ヤマト完結編公開時
「そうなの? そんな印象じゃないけど。特に最初の2つ」
「その通りだ」
「えっ? その通り?」
「実は、TVシリーズ終了時は海外セールス向けのフィルム作成にそのまま続いてしまって、なし崩し的に続いてしまった」
「そうか」
「さらばのときは、さらばが公開される前に既にヤマト2という続きの構想が生まれてしまった。グッズ販売の都合だ」
「そうか。なし崩しで終われなかったわけだね」
「でも、70mm版ヤマト完結編公開時は違う」
「どう違うの?」
「実際に劇場で行われたロードショーは小規模なものでしかないし、劇場では歴代ヤマトグッズの叩き売り在庫処分も行われていた」
「ああ、わかったぞ。つまり、セールスの流れがこのときだけは終息に向かっていたんだ」
「そうだ。商売サイクルが綺麗に完結しつつあった」
「じゃあ、2520や復活編の位置づけは何なんだい?」
「次の商売サイクルだ」
「なるほど」
「だから、カーク船長の時代はここで終わって、そのあとでピカード船長の時代が来るわけだ。もちろん、ピカード船長の時代にもカーク船長と共演する映画が作られたりするから、ヤマトが復活する映画があっても商品バリエーションとしては奇異ではない」
「あれ、そうするとなんか印象が変わるぞ」
「そうだ。復活編はファンが選べるラインナップの1つでしかない。本来はね」
「本来なら、2520でもいいし、復活編でもいいし、デスラーズウォーでも良かった訳か」
「しかし実際のビジネスは上手く行かなかった」
「デスラーズウォーは日経新聞に名前まで載ったのに実現せず、2520は途中で中断。最終的に形になったのは復活編だけということか」
そうすると §
「ああ、分かってきたぞ」
「何が?」
「カーク船長とピカード船長が共演するブリッジ的な映画があるのと同じように、復活編にはヤマトとブルーノアが出てくるわけだ」
「復活編とは円滑に終わるためのブリッジであるという新解釈だね」
「でも、それは空振りに終わったわけだね」
「ブリッジで渡る先が無くなってしまったわけだからね」
「そうだ。だから、デスラーズウォーは実現しなかったので具体的な印象として分からないが、2520が中断してしまったことは惜しいと思う」
「途中までリリースされたから具体的に見えるってことだね」
「今の自分がどうしてここにあるのかといえば、結局2520中断のトラウマがあるからだろう」
「そうか。トラウマが無かったら新作があっても元OBとしてたまに練習を見に来る程度の軽い参加であったはずだ、というわけだね」
オマケ §
「前にも言ったことだが、2520の敗因はいくつかありえて、その1つはOVAという形態が致命的に消費者層との相性が悪かったことが上げられる」
「そうか。ガンダムは買うけどヤマトは買わない消費者層が多いジャンルだってことだね」
「だから、復活編とSPACE BATTLESHIP ヤマトが映画という形態を取ったことは営業的なマイナス点を払拭した良い選択であったと思う」
「そうか」
「あとは映像技術的にいろいろな面でやはり足りなすぎた」
「複雑な形状の物体を動かすには、手描きのアニメは辛いってことだね」
「しかも、シド・ミードのデザインはもっと特徴を掴みにくく複雑だ」
「コンピュータの進歩は不可欠だった、ということだね」
「それだけじゃない。コンピュータを使う人間の進歩も大切だ」
「そこまで行くのか」
「行くとも。人間がダメならどんな技術があってもやはりダメ」
「たとえば?」
「SPACE BATTLESHIP ヤマトでも1つのカットで途中から俳優がCGに変わったりするのだが、CGで人間は描けないとかいう変な信念に凝り固まっていたら出来ない映像だ」
「そうか」
「そういう意味で、西崎さんは奇跡的にCGを的確に習得して使いこなしたし、山崎貴監督もそういう流れの上でVFXを使いこなせるVFXのプロだ。監督と並んでVFXと肩書きに並べるのは当然のことだ。そこは古い世代の他者と識別できる明瞭な境界線だからだ」
オマケ0080 §
「前にも言ったことだが、2520の敗因はいくつか理由が推定されて、その1つとしてOVAという形態が致命的に消費者層との相性が悪かったことが上げられる」
「そうか。ガンダムは買うけどヤマトは買わない消費者層が多いジャンルだってことだね」
「そうだ」
「ならなぜ君は2520のLDを買ったんだい? ガンダムを買うタイプには見えないが」
「ガンダム0080は買ったのだ。というか、ガンダム0080だから買ったのだ」
「それはガンダムは買わないがガンダム0080は買うという意味かい?」
「そうだ。前にもちょっと話題に出したが、このOVAは純情な愛し合う若者の男と女が、双方とも人を守ろうという良い動機を持って互いにそれと知らないまま殺し合ってしまい、しかも2人を兄姉のように慕う少年がそれを目撃してしまい、しかもその瞬間にはもう戦う必要が無いことを知っていたという極めてえぐい内容の作品であった。子供に見せる価値があるガンダムなるものがあるとすればこれだろう」
「そうか。普通の意味でガンダムを買っているわけではないわけだね」
「まあ資料的な意味でガンダムのテレビシリーズのLDボックスも持ってはいるけどな」
「でも、それを除いたらほとんどガンダムは持って無いわけだね」
「ZとかZZとかSEEDとか00は、LDとかDVDとかBDのたぐいは何も持って無いよ」
「そうか。ガンダム0080でOVAを買う習慣ができたので、2520も買えたというわけだね」
「ちなみに実はガンダム0080の第1巻が最初に買ったOVAなんだけど、そうじゃなかったら別の展開になったかも知れない」
「どういう意味?」
「なめたつまらないOVAも珍しくなかった時代だから、そういうのを買ってしまったらそれっきりだったかもしれない。安くは無い買い物だからね」
「そうか」
「更に言えば、実はガンダム0080の第1巻だけVHSで買っているんだ」
「それはどうして?」
「それを見てLDプレイヤー購入を決断したからだ」
「そうか。それで1巻はVHSでも2巻以降はLDというわけだね」
「ついでに言うと、LDプレイヤー購入後にトップをねらえにも手を出してこれがかなり良かったのでOVAというジャンルを承認する後押しになった可能性がある」
「古代さん、今日はオレがトップとりますよ」
「なんか違う」
「ちなみに、トップをねらえのどこが良いのかといえば、いろいろあるが、たとえばルクシオン、タージオンって名前がいいね」
「どうして?」
「ヤマトでもお馴染みのタキオンが光より速い粒子なら、ルクシオンは光速の粒子、タージオンはそれより遅い粒子なのだ」
「そうか」
「それは本来当たり前の前提であったが、トンデモ本はタキオンばかり取り上げてあまり面白くなかった」
「他には?」
「浦島効果でどんどん年齢差が離れていく展開とかね」
「それがいいの?」
「他のジャンルでは珍しく無いが、アニメでは珍しいよ」
「ヤマトでも1年のタイムリミットは艦内と地球で一致しているしね」