「午前10時の映画祭の映画を見に行ったのは想定内なのだが、なぜここまで連戦しているのだ? 既に4週連続だろう?」
「連戦という意識は無いのだ」
「というと?」
「見た理由が全て違うからだ」
「サンセット大通りを見た理由とはなんだい?」
「まず1957年の『情婦』は凄く面白かった。下手をすると過去に見た映画の中で最も面白いと言い切ってもいいかもしれないぐらい面白かった」
「それで?」
「翌週も同じビリー・ワイルダー監督の別の映画だと知って、どうしても見たいと思った」
「更に来週は?」
「007ロシアより愛を込めてになるので、また傾向が変わってしまう。たぶん見ないだろう」
「なぜ?」
「戦隊映画を見るから」
感想 §
「さて、具体的な感想は?」
「救いが無い。完璧に救いが無い。誰にもどこにも救いが無い。全員が完全に否定的な結末を迎える。見事なまでに救いが無い」
「パーフェクトだね」
「そうだ。まさにパーフェクトなグダグダ映画だ」
「ダメな映画ってこと?」
「違う、下手な救いを入れていないストレートないい映画だ。むしろ爽快ですらある」
「救いが無いのに爽快?」
「そうだ。この映画はヒロインのおばちゃんがあり得ない望み通りの結末を迎えて終わる。それは虚構なんだが、映画はそもそも虚構であるから、映画をテーマにした映画では二重の意味で間違って無い」
「じゃあ、肯定的に評価するわけ?」
「するぞ」
「でも、1950年の映画だろう? 1957年の映画より更に古いのだろう?」
「でも、テーマ的に古くなってないんだよ」
「えっ?」
「結局、今の日本も時計の針が止まったロートルで一杯さ。いつも批判してるとおりさ」
「そんな映画なのか」
「過去の栄光にしがみついて金だけは持ってる。そんな奴はリアルで見たことあるぞ。渋谷方面で」
「かつてのベンチャーのメッカ、ビットバレーだね」
「そうそう。大口を叩くし、それを実行するための金も持っていて会社を作って人を雇って最前線の企業家を気取れるけど、発想が泣けてくるほど古かったりする」
「そうか、テーマ的にやはり現代日本と通じるのだね」
「待て待て。それだけじゃないぞ」
「えっ?」
「いわゆる迷惑メールのけっこうな割合が年配女性に対して若い金のない男性が奉仕するという勧誘なのだ。そういう意味でも、金を持っている年配女性と金が無い若い男性という組み合わせはやはり現代日本で典型的に表出する構造なのだ」
「えっ?」
「金が無いクリエイター気取りは、いつの時代にもいるからまあいいか」
「辛辣だね」
ニャンダー仮面の問題 §
「この映画でいちばん悪い奴はだれかと考えた」
「脚本家を撃った元大女優のおばちゃん?」
「いや。彼女は精神的に追い詰めれていた。ならば彼女をそこまで追い込んだのは誰かということだ」
「誰なんだい?」
「忠実な執事だよ。彼が大スターの幻影を維持し続けたことで、元大女優のおばちゃんの精神は幼いまま成長できなくなった。しかし、矛盾は分かるから自殺癖を持ってしまう。忠実な執事が維持する幻影が幻影だと気付いてしまうタイミングがあって、そこでは自殺するしかない」
「ひでえな」
「この『忠実な部下による甘やかしによって成長が阻害されて子供っぽく振る舞う金持ち』という構造は、実はニャンダー仮面のニャオンとおコンちゃんの構造そのものだ」
「えっ? ニャンダー仮面」
「アンパンマンのやなせたかし先生の別作品だ。過去にアニメにもなっている。ってか。アニメで見た。『ニャニがニャンだー ニャンダーかめん』」
「そうか」
「いいところのおぼっちゃまであるニャオン。彼に惚れているおコンは彼の願望をいつも叶えようと奔走して彼を甘やかすわけだ。忠実でけなげだが、それゆえにニャオンは成長の機会を奪われてしまう。更に、敵であるニャンダー仮面も、基本的に人助けにために動いているので『敵でも味方でも』差別無く助けてしまい、決定的に敵対はしてくれない。ますます成長から遠ざけられる」
「ひどい世界だね」
「酷い世界だけど、サンセット大通りも同じだ。執事は元大女優を甘やかすが、撮影所に会いに行く昔の監督も甘やかしてしまう。決定的に敵対しようとはしない」
「そんなに?」
「元大女優も脚本はダメだと決定的なことは一切言わない」
「ひぇ~」
「というわけで、『ニャニがニャンだー ニャンダーかめん』の底を踏み抜いて、ニャオンの更に原型に至る道を見てしまった気分だ。これは壮絶だ」
結構多い客 §
「客の入りはどうだった?」
「満席には遠いが、かなり入っていたぞ。こっちがびっくりするぐらいだ」
「人気があるってことだね、ビリー・ワイルダー監督」
「かもしれない。まあここまで質の高い映画を撮っていればね」
キートン §
「しかし、これは気付かなかったな」
サンセット大通り (映画)より
ノーマ邸でトランプゲームに興じる嘗ての大物俳優達(ジョー曰く「蝋人形たち」)を演じるのは喜劇王バスター・キートンを始めとしていずれもサイレント映画時代のスター達である。
「えっ? マスター・モスキートン?」
「バスター・キートンだよ。キートンの大列車追跡(たぶんこれ)は見たことあるんだぞ。今はもうない交通博物館で」
総合評価 §
「ともかく救いが無い。主要登場人物全員に対して、綺麗に見事に救いが残らない」
「そこがいい、ということだね」
「中途半端な迷いが無い。ともかくストレートに救いが無い。そこがいい」
「皮肉だね」
「それを言ったら、『情婦』だって救いが無いぞ。真犯人の無罪を勝ち取る法廷映画だからな。わはははは」