「初めに言っておく」
「いよっ」
「俺はかーなーり、弱い」
「がくっ」
「というわけで、おいらの音楽に感性はかなりダメ。何しろリズムに人間で、リズムを通してしか受容できない欠陥人間だ」
「何がいいたいわけ?」
「リズムも特にベースが好き」
「それは聴いた」
「だから、ヤマトの相手のテーマでも、ベースラインが素敵なTV用BGM版が好き」
「それも聴いた」
「最近、気づいたのだけど、実は個人的な印象の善し悪しをベースの善し悪しは連動しているらしい」
「えっ?」
「だからさ。Bleachのなんとかいう歌とかあらためて聴くと、実はベースが凄く凝ってることを発見したり、昔のアニソンでリズムはそこそこ凝っているけどベースが眠いとか。発見があるわけだ」
「へー」
「というわけで本題に入る」
「全部前置きかよ」
「そうだ。ヤマトの主題歌は、1974と2199でベースが違うということに気づいた」
「どう違うの?」
- 1974は跳ねるように勢いよく弾いている
- 2199はあまり跳ねていない。ベタッと弾いている
「それがどうしたの?」
「おいらは、1974のベースの方が好きだな」
「君の好みかよ」
「欠陥人間の言ってることなど、しょせんは個人的な好みの問題さ。他人には他人の感性と判断がある。あって当たり前」
オマケ・ブッシュベイビーとアルペンローゼの類似点 §
「オマケも勝手に突っ走ろう。ブッシュベイビーは彬良さんの音楽。炎のアルペンローゼは、湖川さんの文脈でも出したことがあるタイトルだ」
「いいのかよ」
オマケの素材 §
「まずはYouTubeで見られる検討素材から」
オマケの類似点 §
- 主題歌に「夢の続き」という歌詞がある
- 基本的に別れの話である
- BGMは違うが、底辺で似たムードが漂う。分かりやすい音楽を目指しているが、豊かな音楽性を付与して子供を舐めない方法論
- 主人公が金髪少女。キャラクター造形的に破格に印象に残る
- 作曲家がヒロインにおそらく惚れ込んでいる
「どうして『夢の続き』に意味があるの?」
「どちらの作品も、作り手が夢を見ている部分がある。半分覚醒し掛かっているが、それでも夢は続いている」
「ヒロインに惚れ込めることが夢の続きなんだね」
まとめ §
- おそらく音楽的な狙い目が似ている
- しかし、アニメとしては成功とは言いがたい
- スケールは破格に壮大 (ブッシュベイビーは広大なアフリカ。アルペンローゼは反ナチ抵抗運動)
- そのスケール感に負けない音楽の壮大さがある
- だが、大きすぎて日本人には分かりにくい
「それで夢は続かなかったのだね?」
「どうも、久石譲は、このあとで宮崎駿に気に入られてジブリで揉まれることになり(ただし、ナウシカはアルペンローゼより早い)、宮川彬良は日の丸アレンジャーの国内留学記(連載4回)を見るとディズニーランドで揉まれたらしい」
「ジブリとディズニーがどう関係するの?」
「ジブリは日本のディズニーだからな。実際、ジブリのDVDはディズニー系のブエナビスタの扱いだった」
「じゃあ、どちらもどこかで通じているような通じていないような世界で揉まれて大きくなったわけだね?」
「そうだけど、だからといってそれ以前の音楽に魅力が無いというわけでもない」
「それ以前の音楽ってどうなの?」
「だからさ。素直すぎ、過剰すぎの傾向はあって、万人に届きにくい傾向はあったのかも知れないが、音楽的につまらないわけではない。むしろ、素顔が音を通じて見えやすいという意味で、魅力はある」
「ちょっと屈折しているような……」
オマケのオマケ §
「じゃあ、今の宮川彬良さんの素顔は音から見えにくくなっているわけだね?」
「しかし見る方法があることに気付いた」
「なんだい?」
「ヤマト2199の主題歌CDのカラオケバージョンを聞くと、ちらりと宮川彬良の素顔が見える気がするぞ」
「なぜだよ」
「本来なら、ささきいさおが主役。そういう音楽の作り方をしている。しかし、その音楽からささきいさおのボーカルを引いたら何が残るか。もちろん、作曲者の父上も引く。残った残響に素顔が残る感じさ」