「最初に結論を書いてしまおう」
「なんだい」
- 宇宙戦艦ヤマトシリーズのテーマは生と死だ
- より具体的に言えば、死ぬ者と生きる者がいる。死ぬ者はたいてい艦長であり生きる者は若者だ
「本当にそうなのかい?」
「物語は主題を提示して、それを回収して終わる。その観点でさらば宇宙戦艦ヤマトを検討中に分かってきた」
「ヤマト1974の場合は?」
「主題提示部は第1話と2話。第1話では、古代守艦長が死に沖田が生き残るがこれはイレギュラー。本当は逆であるべき。第2話は過去編で艦長が艦と運命を共にして、バカ、若い者は泳げと怒る」
「それで?」
「最終回で沖田艦長が死に森雪が生き返る」
「さらばでは?」
「これは最終回の語り直しなのだ。だから死にぞこなった土方艦長がもう1回死んで見せる。だが話はそれで終わらない。艦長になった古代も死んでみせねばならない。島相原以下総員18名は生きる」
「新たなる旅立ちは?」
「スターシャが死んでサーシャが生き残る」
「永遠には?」
「山南艦長が死んで古代は生き残る」
「ヤマトIIIは?」
「これはイレギュラーで、本当は土門よりも古代が死んだ方がしっくり来た」
「完結編は?」
「言うまでも無い。沖田がもう1回死んで古代が生きる」
「それは当たり前か」
「話をさらばに戻そう。さらばが映画なら主題の提示部が必要だ。つまり死を語る必要がある。どこで死を語っている」
「実は無限に広がる大宇宙で既に【死】に言及している。そのあとは彗星帝国の虐殺でまた死が描かれる」
「えー、まさか」
だから §
「つまりだね。戦艦大和は沈んだのだ。これが事実、だから、宇宙戦艦ヤマトは死なねばならない。死んでいることがノーマルなのだ。しかし、ガミラスが呼び起こしてしまった。従って、常にヤマトは死とワンセットで出てくる。ヤマトの航海は必ず死を誘発させる」
「それがどうした」
「白色彗星とは、そのねじれを解消する存在なのだ。だから、白色彗星は死なない。死んだと思っても都市帝国。そのあとは超巨大戦艦。常に絶望と死をヤマトに与える者としてそこにある。なぜ超巨大戦艦で打ち止めなのか。それはそこでヤマトが死ぬからだ。ヤマトが死ねば白色彗星は役目をまっとうでき、それ以上存続する意味が無い」
「ひ~」
「だが、またしてもヤマトはねじ曲げられてしまい、沈んでいないことにされてしまった。しかし、それでは収まらない。そこでヤマトは疑似埋葬される。それがイカルスの岩の中のヤマトだ。しかし、それは疑似でしかない。次はヤマトIIIでラジェンドラのラム艦長が身代わりになって死んで見せるが、それもインチキだ。そこで飛来したヤマトをいざなう死の使者がアクエリアスというわけだ」
「でもさ。復活篇で復活したよ」
「そうだ。復活の代償として、生け贄を大量に出してな。何人死んだのか分からないが地球総人口の半分ぐらいは死んでいる筈だ。しかもDC版では地球まで生け贄に差し出した。究極の生け贄召喚だよ」
「ひ~」
「しかも、復活篇のヤマトは指揮下のほぼ全艦隊すら犠牲にした。あれもヤマトを活かすための生け贄だ」
「なんてこった」
「次元潜航艦は、冥界からの使者なのだ。冥界から顔を出しては戻れ戻れとヤマトを招く。だがヤマトは冥界からの使者の心臓の在処を見抜き、それを破壊してしまう」
「エネルギー源の太陽ってことだね」
「そうだ」
「そもそもなぜ復活したんだ?」
「死なせる場所を間違えたからだ。九州坊ノ岬沖。そこに沈める以外に正しい沈め方は無い。そこに沈めない限り何度でもヤマトの亡霊は蘇る」
オマケ §
「お葬式バージョンの主題歌で飛んでいくヤマト。これが、さらば宇宙戦艦ヤマトのクライマックスだ」
「けっきょく【死】かい」