「宇宙戦艦ヤマトから始まったアニメブームを見守って分かったことをまとめよう」
「何がわかったんだい?」
- アニメは非常に多くの人が関わる (実写よりも多いかも知れない)
- その結果、内容に多様性が生まれる可能性が高い
- アニメの強みは関わる人たちの多さにある
- スタッフの大多数が共感できない突出しすぎたアニメは上手く完成しない
- ファン層の大多数が共感できない突出しすぎたアニメは商業的に失敗する
- ファン層、スタッフ層が固定されて価値観が均一になってくると、多様性が消失し、マイナス面が目立つようになる
- 原作やシナリオは重要である。多数のスタッフが仕事をする基準となる軸を提供するからである
- 従って、アニメのオリジナルは作りにくく、原作を持つとオリジナリティも比較的乏しくなる
- 従って、有望な原作の枯渇は常に重要なファクターとして存在していた
- アニメキャラが歳を取らないから、割と時間の流れ曖昧である。(10年も前のアニメを【最近流行った】と錯覚するような錯誤も割と多い)
「つまり、プラスの面とマイナスの面があるわけだね」
「そうだ。スタッフが多いことはアニメの【特徴】と言って良いが、それがプラスに採用する場合とマイナスに作用する場合がある。アニメブームの1970年代末期から1980年だ序盤までは上手く機能したが、その先はマイナス面も目立つようになってきた」
「それで?」
「復活篇はよくマイナス面を払拭して上手くやったと思って、ヤマトだったら良いのかなと思った。更に実写のSBヤマトもアニメでは無いからアニメのマイナス面には無縁であった。そこで油断したのがいけなかった。結局、ヤマト2199にはマイナス面がけっこう入り込んでしまった」
「型にはまった古くさいアホ毛を、今どきのアニメの流行りと勘違いして取り入れてしまうような錯誤が混ざってしまったわけだね」
「そう。結局こういうものは【みんなが待っているもの】を作ったら負けなんだ。実際には、その一歩先を行かなければならない」
「事前に予測できないものを見せて【これを待っていた】と言わせないといけないわけだね」
「そうだ。完全に予測できるものは見なくても良いものと同じだからね」
「じゃあさ。ヤマト2199の異なる結末は【見なくてもよいもの】を回避するための正しい選択なのかい?」
「理屈の上ではそうだ。同じことをやったら客は飽きる」
「じゃあヤマト2199は成功?」
「いや、その意味では失敗したと思う」
「なんで?」
「【コスモリバースを上手く説明できる自信がありません】という意見が未だに出てくるわけで、地球が救われたので結末は付いているが山ほどの積み残しが残ったと思うよ」