「このあたりは微妙なので、あえて説明を加えておこう」
「それはなんだい?」
「繰り返すがヤマト2199がダメということはない。良いものもいろいろある。しかし、残念ながらダメな要素もある」
「何度も聞いたよ」
「で、問題はこの先。フラーケンは残念。UX-01は残念。そのように思っている」
「第13話だね」
「それ以外の出番も含めて」
「えっ?」
「そうか。まだ不足だったね。以下の3つは全て話が別物だ」
- 第13話は残念エピソード
- UX-01は残念メカ
- フラーケンは残念キャラ
「どういうことだよ」
「第13話は残念エピソードだという根拠は、お互いに未知の兵器を相手にしている割に、相手の手の内が分かりすぎている。量産品の潜水艦と量産品のフリゲートの戦いを強引に、1隻しか無い戦艦と1隻しか無い潜水艦の戦いに持ちこむからおかしくなる。しかも、命令系統とか組織とか人間心理の描写におかしいところが多い」
「じゃあUX-01は?」
「Uボードがモチーフにしては見た感じのサイズが大きすぎるし、ゴテゴテと変な装飾が多すぎ。甲板上の砲塔はサイズが小さすぎ。本来Uボート的な記号を持ったメカであったはずなのに、最終的に何だか良く分からないものになってしまっている。実際メカコレで作っていると最初はUボートっぽいのに、部品を付けていくうちになんだか良く分からないものになっていく。そもそも1隻しか無いという時点でUボートっぽくない」
「ならばフラーケンの問題は何だよ」
「うむ。今回のテーマはそこだ」
「フラーケンは格好良いのではないの?」
「格好を付けようとしているのだがね。全体を通すとかなりの迷走キャラだ」
「というと?」
「ヤマト2199のガミラス側の派閥は大きく分けるとデスラー派と反デスラー派に分けられる。ではフラーケンはどちら?」
「ええと、殺されそうになったデスラーを助けたからデスラー派?」
「でも最後はデスラー派のゲールを粛正に来たぞ」
「あれ?」
「だからさ。単に強い奴について行っているだけで、自分のポリシーというものがない。当然、一般社会では、それは普通の振る舞いだ。しかし、フィクションの世界ではキャラは物語に対する役割を持った記号的な存在であり、何かを機能性を発揮するために設定される。ころころ役割の変わるキャラは分かり易さを損なう」
「そうか。分かったぞ。ヤマトを沈めようと激闘したフラーケンなのに、なぜか最後はヤマトを助けてくれるのは分かりにくいわけだね?」
「そうだ。しかし、敵が味方になるのは物語の王道パターンだ。それらとの違いが分かるかい?」
「ええと。敵だったはずのピッコロが悟空の味方になるってことだね? なんだろう?」
「つまりさ。心変わりする過程が描かれていて、そこが見せ場になっているのが普通のドラマ」
「分かった。フラーケンの場合、デスラーを見限る描写が無いんだ」
「そう。なぜデスラーの腹心のように暗殺からデスラーを遠ざけたフラーケンが、反デスラーになっているのか良く分からない。だから単純に【軸の定まっていない男】に見える」
「ふらふらした男ってことだね? 分かった。だから【ふらふらーケン】なんだ」
「違うと思うぞ」
「ゲールに対して勧告に行くフラーケンは格好良くないの? 藪を船に乗せるフラーケンは格好良くないの?」
「明らかに、敵対する大型艦相手に浮上航行で何かを勧告しに行く潜水艦なんて無謀すぎる。撃たれて命中弾が出たら一発でお陀仏だろう。だから潜水艦は近くで潜航させて待機させておく隠し球。勧告はもっと別の船で行うべき。少なくとも勧告文を読み上げる間は浮いているような船か、あるいは非武装の船で行くべき。非武装ならすぐには撃たれない」
「藪は?」
「普通、どこの馬の骨とも分からない相手を簡単に最高機密の軍艦に乗せるのか?」
「そうか。藪を乗せた時点で、フラーケンは機密というものすら理解していないへっぽこ日和見指揮官に見えてしまうわけか」
なぜこうなった §
「なぜこうなったのかという分析は有効だろう」
「まあ、フラーケンはダメキャラと言うだけではあまり建設的ではないね」
「分析を伴ってこそ、前向きだ」
「じゃあ、理由はあると思う?」
「あると思うぞ」
「どんな?」
「ヤマト2199のフラーケンは、ガルマンウルフを前提にしながら実際にはハーロックとして描かれてしまっている」
「えー」
「船の外に堂々と立って敵に向かい合うフラーケンの態度は、ガルマンウルフらしくない。ガルマンウルフならそう簡単に浮上はしない。むしろハーロック的な態度」
「船の外に立って舵輪を持つハーロックのイメージだね」
「突然誰かを仲間に入れるのもハーロック的」
「軍隊なら普通なら選抜されて訓練を受けた兵を乗せるわけだね」
「そう。2199フラーケンの態度は海賊的」
「じゃあ話はどこでこじれたわけ?」
「無敵の海賊戦艦に乗って全ての障害を粉砕して思いのままに生きるハーロックなら、突然味方をする相手が変化してもおかしくないし、突然誰かを乗せてもおかしくない。しかし、そのような人物像を普通の軍人に当てはめるとおかしくなっていく」
「全ての障害を粉砕する無敵の海賊戦艦に乗っていないフラーケンが何を粋がったところで馬鹿にしか見えないわけだね」
「しかも、それを【キャプテンも好きだね】で肯定しちゃう副長ハイニも馬鹿に見える、一発でも命中弾が出たらおまえも死ぬかもしれないんだぞ」
「そこが最終的なポイントだね」
「そう。ヤマト2199は前提が違う様々な要素を混ぜすぎて迷走している部分がある」
「で、君の最終的な感想は?」
「フラーケンが登場しない劇場公開版の25話は良かったね。あれがいちばん良かった。フラーケンの間抜けな登場シーンは無い方が良かった」
「でも、世間ではフラーケンは格好いいとされているぞ」