「琉球王国衰亡史という本を読んで驚いたこと」
「琉球王国末期の小説だね」
「そう。つまり幕末の沖縄の小説だ」
「それで?」
「実は凄く面白かったが、それはさておき、重大なキーワードが浮上した」
「それはなんだい?」
「重要な登場事物に【玉川王子】が出てくる。玉川とは琉球王族の家系の1つ。歴代、そう名乗る者達がいたらしい」
「偶然の一致?」
「いや。どうも元を辿ると源氏らしいのだ。源氏ということになれば、関東も無縁ではない」
「なんと。突然源氏という軸で沖縄と東京がつながった」
「というわけで、玉川という地名人名に関する研究の必要性が急浮上した。しかも、今までのような【多摩川の別名です。表記のゆれです】というレベルでは許されない」
「何か考えがあるのかい?」
「ある。前から多摩川と玉川の揺れには違和感があった」
玉川の由来 §
「改めて調べた結果として、玉川表記の由来は以下の求めるのが自然という気がしてきた」
http://news.mynavi.jp/articles/2014/09/11/river/より
地名辞典などによれば、歌枕である「六玉川(むたまがわ)」のひとつに数えられたことも「玉川」表記を盛んにした一因だったらしい。「六玉川」とは、山城(京都)、摂津(大阪)、紀伊(和歌山)などの「玉川」に武蔵国調布の「玉川」を加えた全国6カ所の「玉川」のことで、和歌に数多く詠まれている。
「六玉川が原因という考え方なのだね?」
「そう。しかし、六玉川の元になった和歌を見ると、調布の玉川の和歌は多摩川表記で玉川表記ではないのだ(WikiPediaより引用)」
- 野路の玉川(のじのたまがわ) : 滋賀県草津市野路町。 明日もこむ 野路の玉川 萩こえて いろなる波に 月やどりけり(『千載和歌集』、源俊頼)
- 野田の玉川(たまがわ): 宮城県多賀城市。 夕されば 潮風越して みちのくの 野田の玉川 千鳥鳴くなり(『新古今和歌集』、能因法師)
- 調布の玉川(たつくり(てづくり)のたまがわ) : 東京都を流れる多摩川、調布市、田園調布(ちなみに調布とは「租庸調」の「調の麻布」のこと)。 多摩川に 曝す手作り さらさらに 何そこの児の ここだ愛しき(『万葉集』、東歌)
- 井手の玉川(たまがわ): 京都府井手町。 駒とめて なほ水かはん やまぶきの 花の露そふ 井手の玉川(『新古今和歌集』、藤原俊成)
- 三島の玉川(たまがわ): 大阪府高槻市。 見渡せば 波のしがらみ かけてけり 卯の花咲ける 玉川の里(『後拾遺和歌集』、相模)
- 高野の玉川(たまがわ): 和歌山県高野山。 わすれても 汲みやしつらん 旅人の 高野の奥の 玉川の水(『風雅和歌集』、弘法大師)
「つまり、六玉川に調布の玉川を入れるのはこじつけに近いが、それを契機に多摩川を玉川と表記することが増えたと考えられるわけだね?」
「そのように考えてみた」
「でも、それと人名の玉川との関係は?」
「それはよく分からない」
玉川兄弟との関係は? §
「人名という意味では、地下家(じげけ)に源氏系の玉川家が存在したらしい。
「でもさ。玉川兄弟は玉川上水開削の功績で玉川姓を賜ったので、こっちの玉川家とはあまり関係が無さそうだよね」
「そうだな。普通に考えると関係は薄い」
「普通に考えないなら?」
「没落した玉川家の血を引く傍流の者達が上水を掘って玉川上水と名づけ、その功績で玉川姓を取り戻したのならドラマチックで面白いなあと」
「それは事実かい?」
「いや、ただの想像」
「ぎゃふん」
「しかし、このまま調べていけば何か面白い大発見がありそうな予感もあるのだ」
「どんな大発見だい?」
「それが分かれば苦労はしない」
オマケ §
「とりあえず、玉川上水論集Iのp201に【大菩薩峠記念館】に玉川上水関係の史料があるという記述があるのだが、この【大菩薩峠記念館】が【中里介山記念館】のことなら場所は山梨県塩山市。ここは中世甲斐源氏の土地だったらしい」
「玉川上水からスタートして源氏に行き着いた……」
「それに何の意味があるのかは分からないがね。どうも、玉川兄弟はこの方面につながっているようだ」