「Twitterでつぶやいた話と、最後は呟いていないことも」
うん。だからキャブレーションとして、子供の頃に見たものを今の大人の目でもう一度見ることを、わざわざ手間暇を掛けて実行しているわけだ。当時の子供の目にタミヤの阿賀野は精密な模型に見えたが今日届いた同じ金型の阿賀野は【わあ、玩具みたい】に見えた。
過去の認識という問題は、レーザーディスクの全話BOXが流行った頃に強く認識した。かつて大名作だと思ったアニメでも、大人の目で見て【確かに名作だ】と思えるものと【しょぼい】と思えるものがあった。知識経験の足りない子供の目なんて、しょせんはそんなもの。
かなりしょぼい過去作を、何歳になっても大傑作と持ち上げ続ける行為はどうかと思う。かつて好きだったから今でも好きというのはあっても良いが。
「それで?」
「じゃあ、宇宙戦艦ヤマトはしょぼいの? しょぼいくないの?」
「君はどう思うんだ?」
「凄くしょぼい要素も満載で、それはリメイクにも継承されてているから、ヤマト2199だろとSBヤマトだろうと、しょぼい要素はしょぼい。それはもう、そういうものだと認識しないとダメだろう」
「でも、好きというならそれはそれで良いのだね?」
「そうだ。【好き】に理由も理屈も要らない」
「それで問題はなに?」
「問題はね。【しょぼいファッション】をはぎ取った上でどんな骨格が見えてくるのかだよ」
「なぜ骨格が気になるわけ?」
「実はファッションなど着せ替えればいくらでも変わる。骨格が骨太でしっかりした作品は、テーマ性が時代に合致する限りいくらでも生まれ変われる」
「それで?」
「宇宙戦艦ヤマトの諸作品は実は意外とどれも骨太。ただし、後期に行けば行くほど骨はねじ曲げられて分かりにくくおかしくなっていく」
「それがヤマトはリメイク可能な理由だね」
「しかし、話は単純ではない」
「どういうことだい?」
「復活篇は、背骨の上には首の骨があると思って首の骨を描いたが実際にファンが見たかったのは背骨」
「ミスマッチか」
「SBヤマトは意外と骨太で骨格は良く出来ているが、木村拓他主演等のファッション性がファンを遠ざけてしまった」
「骨はいいのにね」
「ヤマト2199は骨格が無い」
「無いのかよ」
「おそらく、作り手がそれぞれ自分の信じる骨格を持っていてそれが食い違っているから完成した作品には結果として骨格が存在しない」
「骨格は監督が通すものじゃないのかよ」
「おそらく、監督にも総監督にも通せなかったのだと思う」
「なぜ?」
「各スタッフがあまりにも揺るぎない自分のヤマトを持っていたからだろう」
「えー」
「いくら指示をしても、無意識的にヤマトとはこういうものだろうと言う染みついた思い込みで描かれてしまう」
「SBヤマトは思い込みから自由になれたの? なんで?」
「それはね。ヤマトをバックグラウンドに持たないスタッフも多いという問題もあると思うが、それよりも実写では同じ方法論で描けないから一度リセットが必要だという面が大きいだろう」
「心にヤマトがあっても、同じには物理的にできないわけだね」
「そう。特撮プロップをレゴで再現しようとしても同じにできないのと同じ。どこかで何かを妥協しなければならないし、異なる見せ場も要求される」