「大晦日の朝日新聞のヤマト2202広告と、日経新聞のアニメ100年史に1枚だけ掲載されたヤマトの絵の印象の差は何か。考えてみた」
「それで?」
「実は面白いことに気づいた」
「朝日は最新絵で、日経は古い絵だってこと?」
「違う」
「朝日は全面で、日経は小さいってこと?」
「違う」
「じゃあなんだ?」
「朝日は宇宙とヤマトと地球。それだけだ。しかし、日経は宇宙とヤマトと地球とスターシャ」
「違いはスターシャだけかい」
「だがそれは重要だ」
「どういうこと?」
「朝日の広告にはキャラが不在なんだよ」
「キャラが不在だと何が面白いわけ?」
「実はね。ヤマト2199に際して出てきた発言で興味深かったものがある」
「それはなんだい?」
「【ヤマトの主人公は沖田である】という古代が主人公だと思っていた者には容認できない話の前に、【ヤマトの主人公はヤマトである】というキャラですらない発言も飛び出していたのだよ」
「まさか……」
「その時点で既にキャラが不在の価値観があるのだよ」
「そうすると、キャラ不在の思想性がヤマト2199から2202に継承されている可能性がある?」
「スタッフの大多数は継承されているのだ。そういう継承性はあっても不思議ではなかろう」
オマケ §
「まさか。2202はヤマトが主人公なんてことは……」
「実はアンドロメダが主人公かもしれないよ」
「ぎゃふん」
「12人のアンドロメダ・シスターズがあなたを歓迎しますにゃん」
「やめてくれ」
オマケ2 §
「で、君は誰がヤマトの主人公だと思うのだ?」
「古代」
「あんなダメ野郎でいいの?」
「ダメ野郎だから主人公になれるのだ」
「分かった。逆説的に沖田はダメじゃないから主人公になれないわけだね」
オマケIII §
「その理屈で行くと欠陥戦艦アンドロメダは主人公になれるぞ」
「みんなが待っているアンドロメダはなぜか高性能新鋭艦なのだ」