「BORUTOを見ていて、【将棋の待った】をドラマに上手く活かしていたのを見てヤマト1974を思い出したよ」
「なるほど。古代と島だね」
「そうだな」
「BORUTOではどんな展開だったの?」
「王手の待ったを認めてもいいが、質問に答えろという。そこで、相手が盗賊団の一員であるか答えろという」
「なるほど。王手が既に相手の正体を追い詰めている状況を暗示するわけだね。
「そのあたりは上手い」
「ヤマト1974は?」
「ヤマトの航海は待ったができない……という形で対比される」
「それも上手いわけだね」
「そうだな」
「で、君が思ったことはなんだい?」
「うん。ああいう洒落た演出が最近のヤマトでは全く見られないが、それをBORUTOで見せられる皮肉に笑うしか無かった」
「君はBORUTOをどう評価する?」
「物語作りという点で言えば、今どきのヤマトより数倍上手い。もう同じ土俵に立っていないぐらい差がある。まあ予算の差もあるのだろうがな」
「君はNARUTO派?」
「いや、BORUTOはNARUTOより上手い」
「具体的には?」
「少年少女達の心の弱さ、心の甘さ、心の動きをきちんと描いた上でドラマに貢献させている」
「将棋の話で言うと?」
「シカマルとシカダイの描き方は実は全く違う。白けた頭脳派という性格付けは同じだが、実はシカダイの方がずっと弱くて甘い」
「なぜ弱くて甘い方がいいの?」
「子供は弱くて甘いものだし、弱くて甘いからこそ問題が起きてドラマが広がる。最初から強い人間を主役に据えたら無限に敵の強さがインフレするだけだ」