「ハッと気付いたのでメモ」
「そもそも小公女セーラ症候群ってなんだい?」
「世界名作劇場、小公女セーラの最終回を見て、いたくがっかりした事件に端を発する」
「なぜがっかりしたんだい?」
「セーラをいじめ抜いた者達がなぜか許されてしまうからだ。原作だとミンチン女学院は潰れてしまう」
「えー」
「実は、80年代以降、悪が滅びる結末を変更される事例が多いらしい」
「なぜか最後に悪が報いを受けない改変童話などだね」
「そういう事例は昔からあるようだが、目に余るのは80年代以降ではないか、という気がする」
「悪が滅びるのではなく、みんな仲良くという思想が主流になった?
「でも、それはいじめる側の論理。いじめられる側からすれば、いじめられた不幸の全てを水に流すなんてあり得ない話」
「いじめはやめましょう、に逆行するいじめ温存の論理だね」
「そう。いくらいじめても許されるならどう考えてもいじめる」
「それが、【仲良くする】の真意だね?」
「そう。【ほらいじめなんかありませんよ。仲良くしてるでしょ?】と言い逃れるための論理」
「ってことは?」
「ヤマト2199がやってしまった最大の悪はそこにある。なんとミンチン女学院に続いてガミラスが許されてしまった」
「小公女セーラの悪夢を再び21世紀に蘇らせた奇跡のリメイクだね」
オマケ §
「もし平和を求めるなら、【みんな仲良く】でもいいんじゃないか?」
「陰湿ないじめが温存されている世界が【平和】と呼ぶに値するのならな」
オマケ2 §
「あれはデスラーがやったことです。我々は知りません。という理屈で許されないの?」
「いじめの実行犯が良く使う言い訳。【命令されたからやっただけです】と言えば、自分がいくらやってしまったことでも許されるという甘え」
「余程の脅迫でも行われていない限り、通らない理屈ということだね」
「そうじゃないよ。いじめる側の論理ではそれが通ってしまうんだよ」
「ぎゃふん」