「フィクションは面白ければいくらデタラメでも許される」
「整合性が何もなくても面白かったらいいわけだね」
「逆に、整合性をいくら取ってもつまらなかったら重箱の隅を突かれて【ここが矛盾している】と言われる」
「本来、整合性は関係ないわけだね」
「そう」
「それが結論?」
「いや、そうじゃない」
「というと?」
「では、フィクションは面白ければいくらデタラメでも許されるのが現状だが、それは正しいことなのだろうか」
「正しくないと思う理由は?」
「実は、フィクションで見た……を理由に誤った知識を仕入れてしまう人が割と多い」
「フィクションと現実の区別が付いていないということ?」
「本人は区別が付いているつもりだし、実際に99%は区別が付いている。しかし、何がフィクションで何が事実か前提知識を持たない最後の1%は混迷領域に入ってしまい、もっともらしく描かれて納得しやすい内容だとするっと事実として受容されてしまう場合がある」
「たとえば?」
「【等価交換】とかね」
「あれのあれ師か」
「何かを得るためには、何かを差し出さねば手に入らない等価交換という概念は分かりやすく印象的だ。でも、何かを手に入れるために何かを差し出す行為は本当に等価な交換なのか。そこは疑問だね」
「なぜ?」
「1万円で買った商品をすぐ1万円で売れるか。おそらく未使用美品でも、簡単に新品が買えるなら、1万円では売れない。どうしても売値は買値より安くなる」
「等価じゃないわけだね」
「でも、【等価交換】のシビアさ、リアルさに感動している感想は何回も見た」
「実際はシビアでもリアルでもないわけだね」
「実際は激甘」
「じゃあさ、結局フィクションはどうあるべきなの?」
「フィクションなんぞは作り話だから、最初から最後まで嘘八百だが、【嘘八百だから何をしてもいい。面白ければいい】と開き直った時点で既に冥府魔道に落ちているような気がするね」
「ファンの支持があっても?」
「そうさ。どれほどファンの支持があろうとも、やってはならいことがある」
「ファンが喜んでもダメ?」
「そう。いくらファンが喜んでも、不当にファンの価値観をねじ曲げるような作品の作り方をしてはいけない。それは結果的に社会の迷惑になる」
「どんなに感動的な物語でも最終回の後に地獄が待っているような物語なら、それは良くないわけだね」
「そう。作り手は最終回までしか作らないから関係ないよ。その後のことにまで責任を取る気は無い。しかし、うっかりそういう価値観を身を持って実践してしまったファンの誰かは地獄を見るんだ。しかも、関係ない他人を巻き込んで彼らにも地獄を見せてしまう」
「それは不幸すぎるね」
オマケ §
「割と最近多い綺麗事しか描いていない作品群に関しては、本当に【この感動的な最終回のあとは地獄が待っているだろうな】という事例が多い」
「でも続編があったりするよ」
「そりゃ、地獄が描けないから続編も綺麗事でお茶を濁しているだけだろう」