「今回は個人的に非常に良かった」
「なぜ?」
「理由は3つある」
「1つめは?」
「魔法先生ネギま!では図書館が凄く良かった。あの図書館があるから本気で読んだとも言えるが、その図書館が再登場して更に深い内容が語られている。しかも、存在しないはずの本まであるという夢と赴きのある見事な内容にうなった」
「2つめは?」
「このコマには、山田ミネコ作品を思い出した。このコマなんか、カップの浮き方、お茶が出てくるところなど、とても山田ミネコ作品っぽい」
「なるほど。ここにケーキがあって小角にいさまが全部食べればふふふの闇だね」
「考えて見れば、最終戦争シリーズは不老不死そのものを扱っているし、刀太の大ざっぱなメカ解釈も山田ミネコ作品に近い。オウム真理教絡みで潰されてしまった最終戦争シリーズのリターンマッチがUQ Holderなのだと思うならば、山田ミネコ的な水準での作品を描きうる人材が出てくるまでこれだけ待たされたのかも知れない。そう思えば、いろいろ思い当たるふしがある。言語センスの極めて秀逸なところは、山田ミネコ作品に近い。それに、キャラとしての刀太は伊津原永都に近い。UQ Holderでは火星と金星が出てくるが、最終戦争シリーズのダマーヤとバーツマコは火星人と金星人だった。まあ、意識はしていないと思うがね。作劇上の必然から似てしまったのだと思う。収斂進化というものだね」
「言語センスの話をもうちょっと詳しく」
「西塔小角(さいとうおづぬ)みたいな名前をキャラに付けちゃうセンスと、七尾・セプト・七重楼みたいな名前をキャラに付けちゃうセンスには似ているところがあるんだよね」
「具体的にどのあたり?」
「わざわざ斉藤と言わずに西塔というセンスと、七十郎と言わずに七重楼というセンスのあたりとかね」
「ふむふむ」
「そもそも、真祖にも人間にも味方する者達がいるのは、デーヴァ・ダッタにも人間に味方する者がいたりする話とも近い」
「設定の問題?」
「いや、それ以上に物語の質感が近いのだと思うよ。それは人の心の描き方の問題。一歩だけ心への踏み込みが深いのだ。その【一歩踏み込みが深い】という要素こそ、高校受験の頃にあちこちに移動した時に地元の本屋で山田ミネコ作品を集めた理由であり、魔法先生ネギま!を読んだ理由であり、UQ Holderを読んでいる理由でもあるわけだな」
「魔法先生ネギま!の場合はどこを見ると分かりやすい?」
「美空が司祭に化けて告解を聞くエピソードなんか典型的だよね。本人はイタズラをしているだけのつもりなのに、実は深い的確なアドバイスを与えてしまっている。しかし、そのことが本人だけは分からない。更に言えば、様々な登場人物の心の奥を引き出す触媒としても作用している。ああいう話はなかなか希有なのではないだろうか」
「では、UQ Holderは満足なのだね?」
「期待以上だよ。よくぞここまでできた。おいらはとても楽しめた。ありがとうUQ Holder、ありがとう、赤松さん。赤松作品の読者で良かった」
「そういや最初に3つと言ったね。3つめはなんだい?」
「実は真祖が作られた有限の存在だという設定が明かされた。人類には計り知れない神秘の世界が出自ではないのだ」
「それは重要なことかい?」
「うん。だからね。限界を見切ることができれば真祖は討伐可能になるのだ」
「限界は見切れるの?」
「さあ。しかし限界の存在が明確に設定されれば、物語的な展開のバリエーションが増えることになる。それは物語的にはプラスだよ」