前口上 §
この文章は、上記書籍のエッセンスだけを記したダイジェストです。
典拠、詳細、結論に至った経緯などは全て上記書籍を参照願います。
ハイキングの歴史 §
ハイキングそのものは、近代のもので、ワンダーフォーゲルなどと似たような位置づけのヨーロッパ由来の考え方と言って良い。日本から見れば外来思想である。
ハイキングという語に注目する限り、そのような認識で正しい。
ところが、このような正しい意味でのハイキングを日本が受容したのはいつかと言えば、おそらく1970年代以降である。
それ以前に昭和10年代と昭和30年頃にハイキングのブームが2回起きているにも関わらず、必ずしもそのような意味でのハイキングを受容していないようである。
戦前の日本のハイキングの歴史 §
日本では昭和10年代のハイキングブームに先だって小さな探勝ブームが存在する。
探勝とは名勝を見るために旅行するというもので古くから日本に存在する活動である。例えば、松尾芭蕉の旅は目的の中に名所旧跡を見に行くことが含まれるがこれは探勝と言える。
それ以前に、日本におけるハイキングの開祖は弘法大師であるとしている昭和10年代の書籍もある。つまり、ハイキングとは外来の文化ではなく、もともと日本に存在した文化であるという主張が存在した。また、探勝の小ブームから連続してハイキングブームに移行したことから、そのような主張には説得力があったものと思われる。
しかしながら、名所旧跡を見に行く探勝と、健康のために屋外を歩くハイキングでは主旨が全く異なっていて、軋轢が生じていたことも事実であろう。休日のお出かけを全てハイキングと称する立場から、低山登山をハイキングと見なすストイックな登山マニアまで様々な立場の者達がいたと思われる。
戦前のハイキングには、【名所旧跡を見に行く探勝的側面】【神社仏閣を訪問する参拝的な側面】【より手軽な登山である低山登山】といった側面があり、今我々が考えるようなハイキングではなかったと考えられる。また現在のような定まったハイキングコースが存在せず、各自が思い思いに設定した私コースが多く存在するだけだったようだ。
また、戦争に際して強い身体を作るために、国策としてハイキングは推奨されたようだ。神社に立ち寄るコースを紹介し「戦勝祈願していこう」と記述している資料も存在する。戦争が激化すると、ハイキングは行軍の一種になっていくが定まった言い換えの用語は存在しないようだ。
戦後の日本のハイキングの歴史 §
国策的な側面が消滅しても戦後ハイキングは廃れなかった。
そして、昭和30年頃ブームになる。
しかし、【探勝】や【参拝】の要素が後退して近代的なハイキングになったのかといえば、そうでもないようだ。
たとえば、野猿峠ハイキングコースは都立多摩丘陵自然公園の一部となって昭和30年頃人気の高いハイキングコースとなった。しかし、身体を鍛えるとか自然に親しむことを主目的としたコースではなかったようだ。確かにこのコースは尾根道を歩くが、途中にいくつも飲食店があり、京王運営の平山城址公園(現在の平山城址公園とは異なる)という大遊興施設まであった。
このコースの別名はロマンスコースである。何がロマンスなのか説明している書籍は見たことがない。ハイヒールを履いた女まで来ている……と記述している資料もあることから、おそらくはカップルの男女がデートに来るようなコースだったのだろう。歩き疲れたところで、男が女に「疲れたろう。ご休憩していこう」と言うための前振りだった可能性もある。
つまり、健全なハイキングは色欲の偽装である。戦前のハイキングも、参拝や探勝を国策で偽装していたわけで、偽装は戦前からの伝統である。偽装の対象が変わっただけである。
偽装ハイキングの終焉 §
偽装ハイキングはモータリゼーションの発達で終焉を迎えたと思われる。
モータリゼーションの発達によって、新しいデート形態としてドライブからラブホテルという流れができると、自動車が走れないハイキングコースに出番は無くなる。実際に有名なホテル野猿は野猿街道沿いにはあるだけで、野猿峠ハイキングコースには近くない。また中央高速の開通で、比較的近い八王子インターチェンジからラブホテルという流れも生まれて野猿峠ハイキングコースは廃れていく。
一方で、野猿峠ハイキングコースの比較的近くにある高尾山は、未だにハイキングコースとして人気が高い。もともと宗教の地である高尾山は偽装ハイキングには馴染んでいなかったのだろう。
ただし、参拝という古来の日本的ハイキングの価値観に隣接しているし、高尾にかつてあったと思われる色町や高尾山の麓にあるラブホテル街との関係も考えねばならない。
現在のハイキング §
現在のハイキングは、偽装のない健全な娯楽に落ち着いた。
そうなったのは、おおむね1970年頃ではないかと考えている。
子供を安全に連れて行ける娯楽である。
本来的な意味でのハイキングに回帰したと言っても良い。
しかし、厳密にハイキングとは何かと考えると、まだ曖昧な部分は残る。
たとえばお弁当を持って出かけるピクニックと、お弁当を持って出かけるハイキングの違いはどこにあるのだろうか。どこに線引きをすれば良いのだろうか。
あるいは、比較的低い山を登るとき、登山とハイキングはどこで線引きされるのだろうか。
また、美しい景色を見ながら薬王院に参拝していく高尾山ハイキングは、戦前の探勝、参拝の価値観を脱却できたと言えるのだろうか。
まだまだ先は長い。
2019/04/05 川俣 晶 ハイキングの歴史: かつてハイキングはハイキングではなかった ダイジェスト