国産初のパソコン・はじめてパーソナルコンピューターを自称した国産機は何か: それはPC-8001ではない
「新刊だ」
「国産初のパソコンは何かという本だね。君の結論はベーシックマスターかい? MZ-80Kかい? PC-8001かい?」
「残念ながら外れだ。そもそも国産初のパソコンとは曖昧な存在であって確定できないと考える」
「なぜだい?」
「パソコンという言葉が曖昧だからだ。パソコンを名乗っていない機種にまで【あれはパソコンだった】と言い始めると本当に収拾が付かない。完全に【私はこう思う】という世界に入り込んでしまう」
「じゃあ、本は何を書いているんだ?」
「【はじめてパーソナルコンピューターを自称した国産機は何か】だ。カタログや雑誌広告でパーソナルコンピューターを名乗った最初の国産機は何かを調べた。これなら古いパソコン雑誌やカタログを見ればある程度客観性を持って調べられる」
「なるほど。誰かが【これがパソコンだ】と言うだけなら曖昧過ぎて何も確定できないわけだね」
「そう。当時の印刷物が残存していることが重要」
「なるほど。じゃあいったい【はじめてパーソナルコンピューターを自称した国産機は何か】の結論は何だい?」
「それは読んでのお楽しみ。ただし、ベーシックマスター、MZ-80K、PC-8001のいずれでもないよ」
「えー。それってショックを受けるマニアが多いのでは?」
「分かっているつもりのマニアほど落差にショックを受けるように書かれている」
「なんてこった」
「ちなみに、この本での結論はもっと古い先例が出れば書き換わる性質のものだ。もし、もっと前に別の例があるなら是非とも教えてくれよ」
「えー」
補足 §
「ちなみに表紙にPC-8001の写真が使用されているのは、この本に出てくるような機種のうち自分がそれしか持っていないからだ」
「本当ならもっと他の機種の写真を使いたかったわけだね」
「ただし、完成品マイコンの例に出したKX-33Bのチラシは現物を所有している」
「現物じゃなくてチラシの現物かい」