吉田園については、すぎなみ学倶楽部がほぼ決定版の調査まとめを公開しているので、これ以上追求はしていませんでした。
しかし、プール史の研究に関連して水泳場としての吉田園について再注目する流れになりました。
ところが、その過程で検索中にヤフオクに【吉田園水泳場と瀧】の絵はがきが出品されていることに気付きました。更に調べると【吉田園大運動場】の絵はがきもありました。
なので、2つを落札してゲットしました。


とはいえ疑問もあります。
- 滝は低すぎではないのだろうか。それともこんなに低い滝だったのだろうか
- 吉田園大運動場は背景の家屋が少なすぎる。別の場所ではないだろうか? あるいは、吉田園開園直後の景観は本当にこんなものだったのだろうか?
時期に関しては、水泳場の開設は比較的新しく昭和初期のようです。
とすれば、2枚は昭和初期の写真となります。しかし、昭和初期なら宅地化が始まっていて、住宅はもっと多いはずです。
ですが。2枚の裏面のデザインが同じではなく、それぞれは出自が違う絵はがきかも知れません。(会社名は同じだが、デザインが異なる)
大正初期(関東大震災前)であれば、宅地化が始まる前であり、住宅は少ないかも知れません。
とすれば、大正初期の下高井戸(および遠くに見えるのは永福町かもしれない)の貴重な写真ということになります。
滝の問題 §
ついでに言えば、吉田園は滝のある池を見ながら食事のできる場所と解釈していましたが、この写真を見る限り滝は子供の遊び場ですねえ。