【東映特撮ヒーロー THE MOVIE VOL.3】には5本の映画が収録されていて、アクマイザー3以外は全てロボコンである。つまり、ロボコンには映画が4本あった。うち3本はTVシリーズの再編集である。完全新作は1本のみである。
これを見ることで、意図せずしてロボコンのシリーズ全体を俯瞰的に見ることができた。
- 『がんばれ!!ロボコン』1975年3月21日公開。第9話の再編集版。
- 『がんばれ!!ロボコン ゆかいな仲間』1975年7月26日公開。第30話の再編集版。
- 『がんばれ!!ロボコン ムギョギョ!!食いねェ』1975年12月20日公開。第39話の再編集版。
- 『ロボコンの大冒険』1976年3月20日公開。新作
このうち第9話は、もともとも1974年11月29日放送なので、最初と最後では約1年半のタイムラグがあったものと思われる。最初の最後を比較すると、ロボコンは大きく変化していない。他のロボットも大差ない。要するに仲間が増えているだけである。
しかし、ロビンちゃんだけは大幅に変化していた。
最初の頃のロビンちゃんには以下の特徴があった。
- ロボガリと仲が良い
- 演技が堅く、機械的で、かつ、色気もない
- バレエもそれほど上手くない
しかし、最後の映画になるとこうなっていた。
- みんなから好かれ大切にされている
- 演技も上手く、体つきに色気もある
- バレエも上手い
これは成長期の子供が僅か1年版で別物に化けたと思うべきだろう。
そしてこの変化は、顔出しでコスチュームを着るだけで参加していた唯一のロボット学校の仲間であるロビンちゃんにしか起こりえなかった変化なのだ。以下は『ロボコンの大冒険』におけるロビンちゃん。
ちなみに、以下は『ロボコンの大冒険』におけるロビンちゃんの可愛いお尻とロボコンの可愛くないお尻とロボガキと天本英世である。
考察 §
ロビンちゃんの変化は、ロボコンに何をもたらしたのか。
実は初期のロビンちゃんは、マドンナではあったがヒロインではなかった。ロビンちゃんはどこか余所余所しい縁遠い存在だったのだ。ヒロインと呼べるほど深くは物語に関与していなかった。
むしろ、ヒロインはドリちゃん(大山みどり)だったのだ。そもそも第9話はドリちゃんが飼っていた小鳥をロボワルに逃がされてしまうという話なのだ。
しかし、最後の劇場版ではかぐや姫的な物語展開となりロビンちゃんを嫁にするという宇宙海賊に対してみんなが一丸となって立てこもって戦う。つまり、ロビンちゃんは完全にヒロインだったのだ。
まとめると、当初は余所余所しいマドンナでしかできなかったロビンちゃんが役者の爆発的な進化で演技力、バレエ、そして身体的な色気も手に入れて最終的にヒロインになれたのがロボコンという作品だったのではないかと思うわけである。
余談 §
警官役の由利徹はオープニングのクレジット表記でも特別であり、特別出演のレギュラーという感じだったのだろう。確かに、一歩抜きんでた存在感がある。最後の映画にまで出てくる。
一方、最後の映画ロボコンの大冒険では、ロビンちゃんをさらう妖術師アークマン役として天本英世が出演している。
大物俳優が後ろに控えて、子供とロボットが暴走したのがロボコンという見方もできるだろう。
更に余談 §
仮面ライダー01において、人型ロボットが機械に見えないという批判を行った。それはキカイダー01でも同じであった。
ところが、ロボコンは機械に見えるのである。
そもそも、ロボコンは根性ロボットで機械的では全くない。行動も考え方も人間そのものといえる。その点では、仮面ライダー01ともキカイダー01とも大差ない。
だが、ロボコンは機械に見える。
外見の問題ではない。
実はロボコンはガソリンスタンドでいちいちガソリンを入れるのだ。ガソリンが切れると停止してしまう。入れると再び動き出す。餓死という概念が存在しない。これはどういうことか。要するに、ロボコンは人であって人ではないのだ。そのことが、ドラマに密接に組み込まれて描かれているのだ。
車輪が出て来て走れるとか、プロペラが出て来て飛べるというのも同じようなことだ。ロボット学校に所属してガンツ先生から採点されることも同じようなことだ。しかし、キカイダー01の背中からプロペラは出てこない。トランペットは持っているが、それは全く人間的な記号であり、機械を連想させるものではない。しかし、車輪やプロペラは機械を連想させるのだ。